平野玲音 記事

『Audio Accessory』(オーディオアクセサリー)163号 「ハイドンの生家」のシーズン・フィナーレを飾った2017年10月21日のコンサートが、オーストリアの新聞 “NÖN” で紹介されました。(写真左から)「エリ・オオタ、リチャード・フラー、レイネ・ヒラノが、ハイドンとベートーヴェンのピアノ三重奏曲を演奏し、聴衆を感激させた」
『Audio Accessory』(オーディオアクセサリー)163号 CD「ピアニストのチェロ」が、『Audio Accessory』(オーディオアクセサリー)163号の「優秀盤オーディオグレード」に選ばれました。
CDの詳細はこちら(試聴もできます)
レコード芸術モーツァルト・クロニクル CD「ピアニストのチェロ」が、『Stereo』(ステレオ)2016年12月号の「今月の特選盤」に選ばれました!
“ウィーン仕込みの清々しい響きに魅了される 平野玲音が紡ぐ「ピアニストのチェロ」”(貝山知弘)
レコード芸術モーツァルト・クロニクル 『ぶらあぼ』2016年12月号の New Release Selection で、CD「ピアニストのチェロ」が紹介されました。
レコード芸術モーツァルト・クロニクル 『レコード芸術』2016年11月号の New Disc Collection で、CD「ピアニストのチェロ」が紹介されました。
“平野玲音の理知的な趣に満ちたデビュー盤”(近藤憲一)
「窓の会」 東京大学表象文化論研究室のホームページで、2016年7月5日の講演会「窓の会」の模様が紹介されました。
http://repre.c.u-tokyo.ac.jp/news/?p=808
ウェブサイト「クラシック・ニュース」に最新情報と動画インタビューが載りました。
http://classicnews.jp/c-news/2016/160329-0404.html#3
“ウィーンの音”を求めて 『ぶらあぼ』2016年4月号に、インタビュー「“ウィーンの音”を求めて」が載りました。
(ネット上でも読むことができます http://ebravo.jp/archives/25347
クラシック音楽情報誌『ぶらあぼ』2010年2月号の「新譜この人いちおし」のコーナーに、2枚目のCDについてのインタビューが載りました。
『音楽現代』2010年2月号の「プレビュー・インタビュー」のコーナーに、2月13日のCD発売記念リサイタルについてのインタビューが載りました。
「音楽の友」2008年9月
○ インタビュー企画「こんにち話」「心に響く音色を」 ―――― 一瞬の素晴らしさ奏でて ――――
 「 回り道も大切と知る  平野玲音(チェロ奏者)」 
インタビュー
共同通信提供
 〈チェロはオーケストラに欠かせないだけでなく、心に染み入る独奏曲も多い。瞑想(めいそう)を誘う深い音色、つややかな響きで豊かな情感を紡ぎ出す。音楽の都ウィーンを拠点にその魅力を究めつつある、今が旬の演奏家だ〉
 あまり音楽になじみのない方が聴かれても、すごく温かい音色ですね、という感想をよく聞きます。親しみやすいとか穏やかな気持ちになったとか…。忙しい毎日に追われ心を閉ざしてしまうときにも、心の中に入ってきやすい音なんです。
 音楽とは、心とか世の中の風景と結び付くものだと思っています。欧州では歴史的に言葉と密接につながっていますし、歌や踊りにもかかわっています。ウィーンでは、実際にウインナワルツを習いました。それを生かして演奏すると、お客さまにも伝わるようです。
 同じ曲でも演奏するたびに違うものととらえるべきだ、ということもウィーンで学びました。ただ単に上を目指していくというのではなく、その時その時に一瞬の素晴らしさを表すという面もあるということです。
 人間って、いつも同じではないですよね。それを表現すれば、演奏が違って当然です。
 日本は洋楽を採り入れてきたわけですが、遠い国の文化が伝わってくる過程で、西洋音楽が本来持っている「楽しみ」「遊び」という要素が見落とされてしまったんじゃないでしょうか。そうした要素が求められる時代になったらいいな、というのがわたしの夢です。
 日本ではコンクールが重視されますが、ウィーンではそれほど注目もされていません。聞けば分かるという世界です。技術的な完成度よりも、音楽そのものを大切にはぐくむ空気があります。
 〈両親がともにチェロ奏者という音楽環境に育ち、将来は定まっていたかに見えたが、あえてチェロを突き放した時期もあった。それが自己発見につながり、演奏家としての幅を広げたようだ〉
 両親は、子どもができたらチェロを弾かせると、わたしが生まれる前から先生も予約してあったくらい。どうしても義務感がありました。練習をするのが当然という環境だったので。
 大学受験を機に一時期、きっぱりとやめました。今のままでは行き詰まるだろうと。弾く気にならなくてはどうしようもないので…。それで一年間、チェロに触らなかったんですよ、初めて。
 チェロが嫌いだったときもオペラは好きで、モーツァルト・イヤー(没後二百年)だったこともあって「魔笛」などを飽きずに何度も見ました。そのころ、英国のチェリスト、イッサーリスの演奏を偶然聴いて、オペラのアリアの美しさと共通したものを感じ、自然に体の中に受け入れられたんです。
 やはり人生は一度きりなので、無駄にしてしまうのはもったいないですよね。本当に自分がやりたいと思っていることをできるのが一番だと思います。回り道の大切さということも学びました。
 いろいろな方が弾いてきた歴史のある楽器を使っています。自分が弾けなくなった後でも、次の世代に受け継がせなくてはという思いで、弾いています。楽器のほうがわたしのことを覚えていてくれたら、すごく光栄です。楽器が演奏家の音になってくる。楽器から教えられる、ということもあるんですよ。そういう意味でも、チェロをやってすごく 幸せだなと思っています。(聞き手は共同通信編集委員・山崎博康、写真 服部泰)
<平成19年10月14日東奥日報 /岐阜新聞 /10月16日 秋田魁新報 /10月17日 宮崎日日新聞 /山陰中央新報 10月19日 信濃毎日新聞(夕刊)/10月20日 山形新聞 /山陽新聞(夕刊) 10月22日大分合同新聞 /10月30日 静岡新聞 /11月4日 岩手日報に掲載>
「音楽の友」2007年9月号
音楽の友2007年9月号
「弦楽ファン」2007第七号(「月間エレクトーン」1月号別冊)
「弦楽ファン」2007第七号(「月間エレクトーン」1月号別冊)
ドイツの新聞『フライエ・プレッセ』2004年6月14日
玲音の夢かなう
ヴァルデンブルク宮殿でのマスタークラスに集うチェリストたち
ドイツの新聞『フライエ・プレッセ』2004年6月14日
 ヴァルデンブルク。チェロの弦の最後の振動が広い空間へと消えていった後、ヴァルデンブルク宮殿の青の間から短い心地の良い拍手が響く。満足げなざわめき。何メートルもある、重い両開きの扉が開く。赤いブラウスを身にまとい長い黒髪を一つに束ねた平野玲音は、立ち上がり、チェロを手に、幸せそうに微笑みながらコンサートホールを後にする。
 この愛らしい日本女性はヴァルデンブルクのシャフラン・フェスティヴァルに参加するため、多くの若い音楽家たちと同じようにとても長い道のりを旅してきた。若い音楽家たちはこのマスタークラスを訪問するため、ドイツのあらゆる地域からにとどまらず、スペイン、イギリス、そして台湾からすらやってきた。
 平野玲音は長時間電車で旅しなければならなかったことをほんの一瞬すら悔いていない。彼女は、まるでたった今自分の最も大きな夢の一つが現実になったかのように幸せそうに微笑む。3歳からピアノを、9回目の誕生日からチェロを弾いている彼女は、ここヴァルデンブルクで彼女の巨大なアイドルであるイギリスのチェリスト、スティーヴン・イッサーリスに会い、彼と一緒にたっぷり一時間演奏し、彼から指摘を受けた。彼女は幸運にも、熱望したイッサーリスのマスタークラスの一つを手にすることができたのだ。このイギリスのチェリストが稀にしかしないマスタークラスはここヴァルデンブルクで「純粋な理想主義」によって行われたのだ、と主催協会アルティス・カウザのトビアス・トイマーは語る。
 人々がまだホールから流れ出いる間に、スティーヴン・イッサーリスはすでに再び急いで荷物をまとめている。なぜなら彼はロンドン行きの飛行機に間に合うよう、すぐに出発しなければならないからだ。
 2年前からウィーンでウィーン・フィルハーモニー団員のもとで学ぶ、東京出身の日本人平野玲音の夢は、イギリスの教授の短い滞在期間にもかかわらず実現した。そのために彼女はウィーンからヴァルデンブルクへ旅してきたのであり、よりにもよってここで彼女にその可能性が提供されたと喜ぶ。「私にとって大きなチャンスだったの」と平野玲音は彼女のレッスンの後で言う―そこではイギリスの教授イッサーリスが聴いただけでなく、この著名なチェリストを体験し自らのチェロ演奏のためにいくらかのことを学べるよう、なおたくさんの他のフェスティヴァル参加者がともにホールに座っていたのだ。
 エッセンから来たクリスティアン・ハッカーもその一人だ。24歳の彼もマスタークラスに応募したのだが、15人の他の若い音楽家に先を譲らなければならなかった。「学生たちの水準は非常に高かったので、恥ではないよ」とハッカーは平野玲音のレッスンの後で言った。
 協会会長トビアス・トイマーと、同様に協会会員であるドレスデンの教授ペーター・ブルンスが、イッサーリスをシャフラン・フェスティヴァルのためヴァルデンブルクへと呼び寄せた。1997年に亡くなったロシアの傑出したチェリスト、ダニイル・シャフランを記念して行われた催しが、このイギリス人のマスタークラスを可能にした。そしてそれは、名高いドレスデンのチェリストであるペーター・ブルンスにとっても「特別の出来事」であったのだ。