
◆アルペッジョーネと帝国のリンゴ◆
前回の「ウィーン便り」でご紹介した美術史美術館には、いくつかの興味深い別館があります。とりわけ、本館からリンクを渡ったところにある王宮では、宝物館、エフェソス博物館、狩猟・武具コレクション、古楽器コレクション……といった多種多様な展示を楽しむことができます。
私自身の一番のお気に入りは、やはり新王宮に収められた古楽器コレクションで、展示品を眺めるだけでなく、オーディオガイドで音色を聴くこともできるため、チェロを演奏することへの貴重なインスピレーションを得ています。
オーストリアの楽器製作の発展を辿りつつ、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルトなどの大作曲家にまつわる蒐集品と向かい合うのは、音楽を愛する者にとって非常に魅力的なひとときです。
モーツァルトと同時代に活躍した盲目の作曲家、マリア・テレジア・フォン・パラディスがどのように音楽作品を習い覚えたかを伝える点字の楽譜も、彼女の作とされる美しい《シシリエンヌ》を弾いた後に見ると感慨深いものがあります。板状の五線譜に差し込まれた木片の形と位置から音符を読み取る仕組みで、ガラスケースの下の棚に手を入れると、見学者も同形の楽譜を触れるようになっています。
シューベルトをテーマとした「ホール XV」には、当時のユニーク極まりない楽器が並んでいます。戸外で過ごすために作られた、散歩用ステッキの形をしたリコーダーやヴァイオリン、はたまた設置場所の都合で竪型にされた、ピラミッドピアノやキリンピアノ!

古楽器コレクションが収められた新王宮 |

キリンピアノ(左)とピラミッドピアノ(右) |

散歩用ステッキの形をしたリコーダーやヴァイオリン
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シューベルトゆかりの楽器、アルペッジョーネ(左) |
そして、1823年にヨハン・ゲオルク・シュタウファーが考案した「アルペッジョーネ」(ギターの調弦で6弦が張られ、弓を使い、チェロのように膝で支えて演奏されます)。シューベルトがアルペッジョーネのために書いたソナタはチェリストの大切なレパートリーとなっていますが、楽器自体はすぐに忘れ去られてしまい、滅多に目にする機会がありません。
4月13日、楽友協会ガラスのホールで、この “ 幻の楽器 ” による《アルペッジョーネ・ソナタ》の生演奏を聴くことができました。チェロやヴィオラのようなまろやかさは無いけれども、聴いているうちに癖になりそうな(?)独特の味わいがあり、長年取り組んできた名曲のイメージがますます大きく膨らみました。
5月6日には、「モーツァルトハウス ウィーン」のイベント会場で、エステルハージ・アンサンブルのコンサートを聴きました。ハイドンが多くの作品を遺した楽器「バリトン」(6または7弦が張られ、指板の下にも共鳴弦を持つバス・ガンバの変種)を間近に見るのは、これまた珍しい体験ですが、この日は珍しさがさらに倍増!?2台のバリトンによるデュエットまでもが披露されました。
アンサンブルのメンバーと面識があったこともあって、「弾いてみるかい?」と言って頂くことができ……終演後に、恐る恐るフシギな楽器を手に取ってみました。ギターのようなフレットを押さえて7本の弦を鳴らしつつ、左手の親指で共鳴弦をはじくのは、大変ながら面白く、エステルハージ候がバリトンを愛した理由の一つにはこんな遊び心もあったのかも知れないな、と感じました。
さて、最後に再び王宮へ戻り、ハプスブルク家の目も眩むような財宝が陳列された、スイス宮の宝物館を訪ねてみましょう。初めてドイツ語のパンフレットを読んだ時、私は度々出てくる "Reichsapfel"(直訳すると「帝国のリンゴ」)という美味しそうな単語が気にかかり、どこにリンゴが……?と密かに探してしまったのですが、これは(王権・帝権の象徴である)十字架付き宝珠のことなのでした。
中でも、黄金にダイヤモンド、ルビー、サファイヤ、真珠をちりばめた第2室の帝国宝珠は、同じ様式で作られた笏と共に、輝かしい皇帝ルドルフ2世の王冠を一層引き立たせています。ウィーンにいらっしゃる際には――名物のアプフェルシュトゥルーデル(渦巻き形をしたアップル・パイ)だけでなく――是非この意義深いリンゴをじっくりと堪能なさってくださいね! (「ウィーン便り⑰」 『百味』6月号から)
 モーツァルトハウスで奏でられた2台のバリトン
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宝物館第2室にある帝国宝珠 |
◆美術史美術館のペルシャの宴 ◆
ウィーンに着いた翌々日の明け方、時差ぼけついでに早起きして、バンクーバーオリンピックのフィギュアスケート(女子フリー)をテレビで見ました。最初に画面に映し出されたのは日本の鈴木明子選手、素晴らしい演技で、オーストリアの解説者も「音楽的で、一歩一歩が拍子にぴったり合っていた」と賛辞を贈っていました。
点数や順位が重視される日本に比べ、音楽がその選手の個性に合っているか、演技全体が心を打つものだったかどうか……をより大切にしたオーストリアの中継は、競技を一層気高いものに見せ、「音楽の都」に戻ってきたことを実感させてくれました。
フィギュアスケートはドイツ語で Eiskunstlauf と言いますが、そこではまさに、この美しいスポーツが "Kunst"(芸術)と捉えられているかのようでした。(歴史をひもといてみると、バレエ教師でもあったジャクソン・ヘインズがウィンナ・ワルツと出会い、シュトラウスを始めベートーヴェンやシューベルトの作品までスケーティングに取り入れて好評を博したのが、今日のフリースケーティングの原型なのだとか。)
ウィーンの音楽に乗せた踊りは魅惑的で、私はウィーン・フィルのニューイヤーコンサートでも、毎年バレエのシーンを楽しみにしています。今年は何とも豪華なことに、Kunsthistorisches Museum(美術史美術館)がその舞台となっていましたね!
ハプスブルク家の多彩なコレクションを体系的に展示した、ウィーンの美術史美術館は、世界で最も重要な美術館の一つです。ブリューゲルやルーベンスを始めとする名画の数々を鑑賞するだけで、かなり時間がかかってしまいますが、エジプト‐オリエントや古典・古代などの他の部門も見応えがあります。今年は(購入日から12ヶ月有効の)年間入場券が29ユーロで売られていますので、ウィーンに長めに滞在なさる場合は、数日に分けてご覧になるのも良いかもしれません。

マリア・テレジア広場に建つ美術史美術館
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展示品に劣らず意匠を凝らした内装 |
昨年の9月には、この美術史美術館の一室で、チェロを演奏する機会がありました。イランの哲学者、裁判官、そして音楽家でもあったオスタド・エラヒ(1895-1974)の114回目の誕生日を祝う催しを、エラヒにゆかりの深い作品で締め括ることになったのです。
それまで足を踏み入れたことの無かった「バッサーノ・ザール」で、高名な音楽学者や音楽療法士によるパネルディスカッションが行われ、休憩時間は瀟洒な回廊へ出てビュッフェを味わいました。
新しい音の世界を模索した、リュートの一種タンブールとヴァイオリンとのトリオを実現できなかったのは残念でしたが、タンブールの生演奏を目の当たりにしたり、サントゥールという打弦楽器の前奏に続いて演奏したりと、得難い体験をすることができました。
エラヒの思想に触れてみて、最も興味深かったのは、彼が宗教を「学問」と言い換えられるような知識の集積と考え、全ての宗教は(外形を異にするだけで)同一であると述べた点です。このような普遍性をもって、「音楽は私達の魂を神に結びつける」と語った彼のタンブール演奏は、ヴァイオリニストのメニューインやバレエの振付師ベジャールにも大きな感銘を与えたのだそうです。
先日(3月18日)は同じバッサーノ・ザールで、パウル・バドゥラ=スコダのピアノ・リサイタルを聴きました。休憩時間には、レンブラントの『使徒パウロ』を鑑賞する、美術館ならではの小さなガイドツアーもありました。
建物自体が見事な芸術作品である美術史美術館で、美しい音色に耳を傾け、ふと見上げればバッサーノの絵画がすぐそこにある――。心が幾重にも満たされ、優しく高みへといざなわれるのを感じました。 (「ウィーン便り⑯」 『百味』5月号から)

鑑賞に疲れたら、2階のカフェ・レストランで一休み
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バッサーノ・ザールでのピアノ・リサイタル |
◆ Neues Elysiumと『おくりびと』 ◆
主人公が元チェリストという設定上、映画『おくりびと』の噂は日本の方々から頻繁に聞かされていましたが、なかなか自分で見る機会を持てずにいました。……「今頃見たの?」と読者の皆様には呆れられてしまうかも知れませんが、今回は昨年秋の、「ドイツ語字幕付き(!)おくりびと」の体験談をお話ししたいと思います。
10月下旬から11月初めにかけて、ウィーンの中心部で、1960年から続いているオーストリア最大の国際映画祭 “ VIENNALE ” が開催されました。10月30日の21時から、1区の映画館 “ Metro ” で『おくりびと』が上映されるというので、日本人の友人と連れ立って出かけました。
30分程前にロビーをのぞいてみると、既に当日券目当ての行列ができており、私達が受け取った整理券は最後の方の33番と34番。番号を呼ばれる前に売り切れてしまうのでは?と少しやきもきしましたが、幸い二人揃ってチケットを買うことができました。
ケルントナー通りからヨハネスガッセに折れてすぐのこの Metro は、単なる映画館とは思えないような、美しく風情溢れるたたずまい――それもそのはず、この建物は1924年から、1951年に映画館に取って代わられるまで、劇場として使われていたのだそうです。

統あるウィーンの映画館 Metro
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ロビーで開場を待つ人々 |
白亜の天井にきらめくシャンデリア、壁面に設えられた木造りの「ロージェ」(ボックス席)。ロージェで優雅に映画を見るというのも面白い体験ではありますが、残念ながら視界が一部遮られてしまうそうなので、私達は2階席の後方に腰を落ち着けました。
さらに歴史を遡って、19世紀の中頃には、この場所に “ Neues Elysium ” と呼ばれる有名な遊興飲食店がありました。菓子職人ヨーゼフ・ゲオルク・ダウムが聖アンナ修道院の地下空間に作り出したのは、いわばビーダーマイヤー時代のディズニーランド!?音楽、ダンス、曲芸、そして食の楽しみに彩られた「地下の世界旅行」に、市民たちは胸を躍らせました。
贅沢に飾り付けられた店内で、ヴァラエティーに富んだ見世物、演劇、舞踏会やコンサートが催され、観客たちは専用の馬車鉄道に乗って、こちらのアトラクションからあちらのアトラクションへと進んで――こちらの大陸からあちらの大陸へと旅して――行きます。
「アジア」には東洋風の天幕やトルコの楽団が、「ヨーロッパ」には舞踏会の広間とアルプスの酪農小屋が、「アフリカ」にはピラミッドが、「アメリカ」には本物の猿やオウムのいるジャングルが。1840年の12月には、当時ほとんど知られていなかった「オーストラリア」の風景さえもが加わって、人々のファンタジーを掻き立てたのでした。
さて、ぼんやりと過去に思いを巡らせているうちに、肝心の映画が始まってしまいましたね!死にまつわる重いテーマながら、コミカルな場面や台詞の妙(うまくドイツ語に訳され、笑いを誘っていました)もあり、陽気なウィーンの観客席は、まるでシュトラウスのオペレッタでも観ているかのように盛り上がっていました。
日本人の私ですら見たことが無かった納棺の儀はもちろんのこと、昔ながらの銭湯や四季折々の景色なども、外国人の目には新鮮に映ったのではないでしょうか?物語が感動的に締め括られると、場内のどこからともなく、温かな拍手が巻き起こりました。
そう言えば、先程お話しした “ Neues Elysium ” の Elysium とは、ギリシャ神話の(死後人々が幸福な生活を送るという)楽園を意味する単語です。映画の中では死が「門」に譬えられていましたが、当時のウィーンの人々は、その門をくぐり抜けた先にも、楽しい音楽の夢を描いていたわけですね。
帰り道に立ち寄ったアメリカ風のレストランでは、不気味な幽霊やジャック・オ・ランタンが天井を覆い尽くす、ハロウィーンの飾り付けに驚かされました。世界の多様な死生観が交錯した、不思議な一夜でした。 ( 「百味」3月号)

ポップコーンやチップスの並ぶ売店 |

館内に貼られた『おくりびと』のポスター |
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優雅な劇場の雰囲気そのままの場内 |
◆「赤いはりねずみ」制作秘話 ◆
この文章をお読み頂いている頃には、もしかすると、既に私の 2 枚目の CD 「赤いはりねずみ――ウィーンのブラームスと仲間たち」( 2010 年 1 月 20 日発売)が HMV やタワーレコードなどの店頭に並んでいるかも知れません。
「赤いはりねずみ」とは、ブラームスがヨハン・シュトラウスやドヴォルジャークといった多くの友人たちと時を過ごした、お気に入りのレストランの名前です。ブラームスの《チェロ・ソナタ第 2 番》をメインに、ウィーンにゆかりの深い小品や、そうした友人たちの珠玉の作品を集めることで、私がこの街で感じた温かみのあるブラームス像を形にしたいと願っています。
収録曲についての詳細は、お聴き下さってのお楽しみ……。ここでは、ちょっとまぬけな(?) CD 制作の裏話をご紹介しましょう。準備に本腰を入れ始めた夏のある日、アパートの隣人でもあるピアニストの友人と一緒に、ウィーンから 120km ほど離れたミュルツツーシュラークの「ブラームス博物館」に出かけました。
1884 、 1885 年の夏にブラームスが滞在したこの建物は、数年前にも訪れたことがありましたが、その折は館内でのコンサートが目的だったので、展示品をゆっくりと見学することができませんでした。実は今回も、一番のお目当ては博物館の “ 外 ” にありまして――
ブラームスが楽想を練りながら歩いた周辺の散歩道は、「ブラームスの道」と名付けられて今でも辿ることができるようになっています。そして、その要所要所に現れて行く手を示してくれるのが、可愛らしい赤いはりねずみの道しるべなのです。
小さなデジカメ、素人の腕ではありますが、もしうまく写真に撮れれば、是非このはりねずみちゃんを CD のデザインに使いたい……!駅に降り立つなり、真っ先に「ブラームスの道」へと向かいました。
ところが、無謀にも地図を持たずに歩き始めてしまったため、最初はどこにくだんの道があるのかすら分からず右往左往。苦労してはりねずみを 4 匹ほどは見つけたのですが、まずは博物館を見学して、ハイキングコースの地図をもらおうということになりました。
ブラームスが座った木のベンチ(見学者も座らせてもらえます)や、滞在時にしばしば弾いたグランドピアノなどが展示され、最後のコンサートホールでは、発明されたばかりの蝋管蓄音機に彼が吹き込んだ声と演奏(残念ながらかなり雑音が多いのですが)を聴くことができます。
また、いたずら好きのブラームスが子供たちの口に押し込んだ、石の形をした砂糖菓子を試食してみると――見た目だけでなく歯ごたえも石を思わせるので、お菓子と知っている私ですら結構ツライ。五感を通して、大好きなブラームスをますます身近に感じることができました。

ミュルツツーシュラークのブラームス博物館 |
博物館入り口にあるブラームスの胸像 |
さあ、気を取り直して、再び「ブラームスの道」へ!今度は博物館で説明を聞いてきたこともあって、順調に歩みを進めることができました。ただし、後ろ手を組んで思索にふけるベートーヴェンのイメージとは異なり、ブラームスの散歩は本格的な「山登り」。ぜいぜい言いながら必死に赤いはりねずみを追いました(友人は息が切れたためか、途中から「あ、赤ねずみがいた」と絶妙の短縮形を使っていました)。
けれども、次第に現れる森、川、草原や山々の景色はどれも素晴らしく、新鮮な空気を胸一杯に吸い込むと、ブラームスの音楽の壮大さが自然と心に浮かびました。完成した CD のどこかにはりねずみの道しるべが写っていたら、この日の冒険に思いを馳せ、チェロの調べから、作曲者の清々しい精神を一端なりとも聴き取っていただくことができましたら幸いです。
赤いはりねずみの道しるべ |
橋の向こうにも赤い「点」が…… |
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爽快だった下り坂の帰り道 |
◆フィルム・フェスティヴァルを彩る「料理の花束」 ◆
7、8月は「音楽の都」の夏休み。国立歌劇場もフォルクスオーパーも上演せず、その代わりに観光客を対象にした、モーツァルト時代のコスチュームによるコンサートなどが多く開かれています。地元の人たちは大抵旅行に出かけてしまうため、街中でも種々様々な言語が聞こえ、いつもと少し違った雰囲気になります。
「本当にどこにも行かないの?」とウィーンの友人には驚かれてしまいましたが、帰国公演を終えて戻ったばかりの私にとってはここが旅行先のようなもの(?)。コンサートに追われずに自分を見つめ直す貴重な時間でもあるので、CD制作の準備をしたり、本を読んだり、そう、「ウィーン便り」の原稿を書いたり……来シーズンに向けてゆっくりと英気を養っています。
けれども、わずか2ヶ月間とは言え、ウィーンから音楽の楽しみが失われることはあり得ません!ちょうど空白を補う形で開催されているのが、市庁舎広場の「フィルム・フェスティヴァル」(今年は6月27日から8月30日まで)です。
市庁舎の前面に設置された巨大なスクリーン上に、毎晩オペラ、バレエ、クラシックあるいはジャズのコンサートといった魅力的な催しが映し出されます。7月9日、語学学校時代からの韓国人の友人と久しぶりに会うことになり、20時半に市庁舎広場で待ち合わせました(日が暮れないとスクリーンがよく見えないため、この日の上映開始は21時半に予定されています)。
まずは腹ごしらえをと、広場を賑わす屋台を見て回ります。「料理の花束」に譬える優雅な謳い文句そのままに、中国、トルコ、フランス、ギリシャ、メキシコ、インドネシア、オーストラリア、クロアチア……そして地元ウィーンと、彩り鮮やかな各国の料理店が一堂に会する様は壮観です。
私達は、あまり食べる機会のないトルコ料理に挑戦してみることにし、それぞれ"Lahmacun"(トルコのピザ)と"Falafel"(ベジタリアン)を注文しました。人、人、人で座れる席が無く、高い丸テーブルでの立ち食いになってしまいましたが、どちらも美味しくて二人とも満腹・満足♪

フィルム・フェスティヴァルに沸き返る市庁舎広場 |

ギリシャの屋台 |

日本の屋台テッパンヤキ! |

トルコの屋台 |
飲みかけの「ざくろとメロンのボーレ(果物入りのお酒)、ウォッカ入り」のグラスを持ったまま、スクリーン前の観客席に移動します。幸いこちらには十分な数の椅子が用意されていて、見易い席に並んで座ることができました。
プログラムはリヒャルト・シュトラウスによる《英雄の生涯》と《ドン・キホーテ》。実際のコンサートとは違って、途中で出入りしたり、多少おしゃべりをしても大丈夫。リラックス・ムードの中、音で紡がれる壮大な物語を堪能しました。心地の良い風に吹かれ、ふと見上げると空には美しい星が瞬き――。予定表をチェックして、良さそうなものがあれば是非また来ようねと約束して、家路につきました。
そうそうスクリーンと言えば、今年の5月から、国立歌劇場脇のヘルベルト・フォン・カラヤン広場でもオペラが上映されるようになりました。5、6、9、10月の4ヶ月間、歌劇場内の公演を選りすぐって屋外に生中継することで、オペラをさらに開かれたものにし、未来の聴衆を育てようという画期的な試みです。
このプロジェクトが実現に至る直前には、同じ広場へのソーセージスタンドの設置計画に阻まれる(!)危機もありました。市民たちからは投書が殺到。「ソーセージスタンドなら近辺にごまんと立っている」「(オペラを中継してこそ)“音楽の都”が単なる絵空事でなく、実際に存在するのだと世に示すことができるだろう」……
もちろん、チケットが取れれば中で観るに越したことは無いでしょうが、作品や配役についての説明、多様な角度からのカメラワークといった、映像ならではの特典も着々と調えられています。ウィーンにいらしたけれどもお時間の関係などでオペラをご覧になれない、そんな場合には、是非この"Oper live am Platz"(広場でのオペラ生中継)を体験なさってみてくださいね。

Falafel(左)とLahmacun(右)、そしてざくろとメロンのボーレ |

終映後にライトアップされた市庁舎
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ヘルベルト・フォン・カラヤン広場でのオペラ生中継 |
◆「日本のワルツ」とシノデ◆
再びウィーンへ発つ直前の6月8日、日墺協会の例会に出席し演奏する機会がありました。オーストリア大使を始めとする錚々たるお客様が温かいお言葉をかけて下さり、赤白のワインと共に、なまずの燻製のフライ(!)やボイルビーフなどのオーストリア料理を味わいました。
今年は日墺修交140周年にあたるのだそうで、ウィーンでも昨年、それに先立って「450年にわたるヨーロッパと日本の音楽上の関係」という展示会(楽友協会の展示ホールにて)が開かれました。
キリスト教の宣教師たちを通して西洋音楽が日本に伝わり、日本古来の音楽が――彼らの耳には不可解で、ほとんど「耐え難い」響きだったとしても――好奇心をもってヨーロッパ人に受け入れられていく様子は、日本に生まれチェロを志す私にとって大変興味深いものでした。
展示品の中でまず目を引いたのは、「日本のワルツ」と題されたモーツァルトの楽譜……彼の《ドイツ舞曲》KV 600/4は、(そうなった経緯はわかりませんが)同時代人たちにこのフシギな異名で親しまれていたとのこと!
また、ハインリヒ・フォン・ボックレットによるピアノのための《日本の民俗音楽》に書き込まれた、ブラームスの詳細な注釈と訂正にも感銘を受けました。日本公使の邸宅で琴の演奏を聴いた大作曲家が、ボックレットの平易な編曲に満足せず、あくまでも原曲を尊重しようとしていたことが窺えるからです。
プッチーニがオペラ《蝶々夫人》を作曲した際、彼に日本の伝統音楽に関する情報を提供したのは、ウィーン楽友協会音楽院における初めての日本人留学生、幸田延でした。
私はこの秋、ブラームスと、彼の友人だったロベルト・フックスのチェロ・ソナタを中心にCDを制作する予定なのですが、幸田延はこのフックスに作曲を師事したのだそうです――歴史を知ることで、作曲家たちが今まで以上に身近に感じられ、国境を超えた演奏活動を励まされるような思いがしています。
さて今度は、ウィーンの街中で実際に出会うことのできる「日本」をご紹介しましょう。シェーンブルン宮殿の敷地内に、1996年に再発見され修復された日本庭園があるのをご存知ですか?傍らの枯山水は新たに作庭されたものですが、音楽の都ウィーンに因んだという五線譜の敷砂がかわいらしいですね。
そして知る人ぞ知る(?)ウィーン19区の「世田谷公園」は、19区と世田谷区の姉妹友好提携により1992年に開園されました。木の橋からの滝の眺め、睡蓮が浮かび鯉や亀がゆったりと泳ぐ池の静けさなどは、異国にいながら日本を強く思い起こさせ、心を落ち着かせてくれます。
有名な「天満屋」や「優月」を始め、現在のウィーンには数多くの日本食レストランがあり、普通のスーパーでも日本米に近いお米やお醤油などの食料品が売られているので便利です。(お米の名前は日の出ならぬ「シノデ」と、多少違っているような気もしますが、味に支障はありません!)
墺日協会「ニッポン」の主催による、2005年の親善コンサートでは、幸松肇がピアノ三重奏用に編曲した《八木節》を演奏しました。3人の東洋人がねじり鉢巻を締めてコンツェルトハウスのシューベルト・ザールに登場すると、客席からどよめきが起き、フラッシュの雨が降り注ぎました!
けれども、それにも増して嬉しかったのは、長い時間をかけて取り組んできたモーツァルトにご好評を頂けたことでした。地に根ざしたウィーンの音楽を表現するのは容易なことではありませんが、日本人ならではの感性を大切にしつつ、今後も本質に近づくための努力を重ねてまいります。
シェーンブルンの日本庭園を眺めていると、目の前にリスが!
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シェーンブルンの枯山水 |
世田谷公園の滝
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睡蓮が浮かぶ世田谷公園の池
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世田谷公園の茶室 |
日本食レストラン「天満屋」
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スーパーで買えるお米「シノデ」 |
◆楽友協会の黄金の空気 ◆
「シャネル・ピグマリオン・デイズ」などのコンサートに出演するため、3月下旬より一時帰国しています。6月上旬まで、2か月以上にわたる長い帰国はウィーンに留学して以来初めてなので、ハード・スケジュールに追われながらもほっとした気分に浸っています。
地球の裏側から遥か彼方の「第2の故郷」に思いを馳せた時、最も懐かしいものは――馬車が行き交う優美な街並みよりも、趣あるカフェでの一服よりも――やはり「黄金の」と称えられる、楽友協会の壮麗な響きかも知れません。
このホールの特質を最大限に活かすことのできるウィーン・フィルのコンサートに出かけると、単に音が鳴り響いているのではなく、体全体が神々しい空気に包み込まれているように感じます。その会場の空気を吸っている、ただそれだけで、身も心も一杯に満たされ、新たなエネルギーが湧いてくるのです。
ウィーンの批評家テオドール・ヘルムは、1870年のこけら落としの後で、グローサー・ザール(大ホール)の素晴らしい音響は①幸運の賜物である一方で(当時はまだ、音響効果を正確に予測することができませんでした)、②卓越した建築家ハンセンの功績も否めないと述べています。
②については、今日に至ってもなお専門的な研究が続けられていますが、木の床の下に横たわる空洞が――ヴァイオリンにおけるのと同じように――共鳴の役割を果たしているという指摘には特に興味を引かれます。
やはり木でできた天井も、建物に乗っかるのではなく、屋根組みに吊られることで音の振動を助けているのだとか。楽友協会ではしばしば、ホールまでもが呼吸しているかのような感覚に囚われますが、それは言わば、演奏家たちが黄金のホールという巨大な名器を奏でているためだったのですね。
文字通り「黄金色」に輝く、楽友協会の豪華な内装に対し、ウィーンの評論家たちの見解は真っ二つに分かれました。「コンサートホールにはきらびやか過ぎて、音楽に集中できないのではないか」という懸念をよそに、カール・エドゥアルト・シェレは「このホールの荘重な雰囲気は、日常生活を思い出させる全てのものを振り落としてくれる」と記しています。
私自身はどちらかと言うとシェレの意見に同感で、気の向くままに美しい天井画を見上げたりしながらコンサートを楽しんでいます。とりわけモーツァルトなどの雅やかな作品を聴く時に、当時の宮廷の情景が自然と目に浮かぶのは、贅を尽くしたグローサー・ザールならではの体験ではないでしょうか?
ウィーン・フィル、そしてムジークフェライン弦楽四重奏団の団員であるイーベラー先生から受け継いだ演奏法は、楽友協会の豊かな音響と密接な関わりを持っているように思います。
たとえば、指で指板を叩くなどの雑音は極力減らし、左手で押さえない「開放弦」が和声を濁らせることの無いよう、空いている指で絶えず響きを止めなくてはなりません。日本にいた頃に比べ、音の質や色合いをより細やかに探究するようになりました。
ゴールデンウィーク中の「ラ・フォル・ジュルネ」音楽祭では、丸の内オアゾの○○広場で、PAを用いてバッハの《無伴奏チェロ組曲第6番》を演奏しました。不慣れな環境に戸惑いもありましたが、クラシック・ファンに限らず大勢のお客様が熱心に耳を傾けて下さり、嬉しかったです。残りの帰国公演でも、ウィーンの響きを、そして音楽の奥深い味わいを、チェロに託してお伝えしたいと願っています。 (『百味』 「ウィーン便り⑪」)
◇ベートーヴェンのコーヒー・ブレイク
帰国公演を無事に終えてウィーンへ戻り、ほっと一息。音楽の都としてだけでなく、「カフェの都」としても知られているほど、ウィーンには数多くの魅力的なカフェがあります。
ザッハートルテの生みの親「ザッハー」、ハプスブルク家御用達の「デーメル」、モーツァルトトルテが名物の「モーツァルト」、それに、「ツェントラル」、「ゲルストナー」、「ラントマン」、「シルク」……主だったものを挙げても切りがなく、小さな町の中心部で友人と会うにも「今日はどこにしようか?」と迷ってしまいます。
その次に悩むのは、ケーキ選び。世界一有名なチョコレート・ケーキと言われる「ザッハートルテ」、薄いパイ皮にリンゴを包んで焼いた「アプフェルシュトゥルーデル」を始め、それぞれの店に伝統の味が受け継がれています。
コーヒーにも様々な種類がありますが、ウィーンで一番人気があるのは「メランジェ」(泡立てたミルク入り)、日本で言う「ウィンナー・コーヒー」に当たるのは「アインシュペンナー」(生クリーム入りで、グラスに入って出てくる)のようです。
ウィーン人は大変コーヒー好きで、平均して一日に3杯くらい飲んでいると聞いたことがあります。音楽史上の偉大なウィーンっ子、ベートーヴェンもコーヒーに独自のこだわりを持ち、カップ一杯につき60粒きっかりのコーヒー豆を、いちいち数えて挽いていたのだとか……!
「 “ 真のウィーンっ子 ” には、カフェに行く種々雑多な理由がある。コーヒーを飲むため、新聞を読むため、仕事で、または個人的に人と会うため、思索にふける、または単に瞑想するため、チェス・ビリヤード・(トランプの)ブリッジといったゲームをするため、本を書くため――」あるオーストリーの新聞記事にはこう書かれていました。ウィーンのカフェは飲食店であるにとどまらず、「ウィーン独特のライフスタイル」を象徴する場所なのです。
興味深いことに、上記の引用文は次のように締めくくられています。「――手短に言えば、普段よりも自覚を持って生きるために。」
私達日本人の感覚としては、コーヒーを手にするのはどちらかと言うと、「仕事の合間の休憩時間」というイメージがありませんか?
カフェでの何気ないひととき、そしてそこから生まれる「ゲミュートリッヒカイト」(居心地のよさ)、そうしたものに人生の意義を見出すことのできる大らかな土壌が、この町に彩り豊かな音楽文化を花開かせたのかもしれません。(実際ベートーヴェンの時代には、まだホールが不足していたためにカフェでコンサートが開かれることも多く、カフェと音楽とは直接結びついていました。)
ベートーヴェンの伝記作家シンドラーは、「コーヒーは……彼にとって無くてはならない食料品のようだった」と述べています。「ツム・タローニ」や「ミラーニ」といった当時のカフェに、足繁く通っていたベートーヴェン。
耳の病気が悪化していく不幸に苦しめられながらも、彼は日々をいとおしむウィーンっ子らしさを持ち続けていたのではないでしょうか?
歴史あるウィーンのカフェは、日本で知ることのできなかった大作曲家の素顔へと、想いをいざなってくれます。この素敵な空間を立ち去るのは名残惜しいのですが、そろそろアパートへ帰って、チェロを練習しなくてはいけませんね……「ツァーレン・ビッテ(お勘定をお願いします)!」
(東京有名百味会『百味』2007年8月号に寄せた「ウィーン便り②」)
◇ブラームスの舌鼓
ウィーンでの毎日の中で最もわくわくすることの一つは、日本ではおぼろげな輪郭しか持たなかった歴史上の大作曲家たちの息吹を感じられる瞬間です。ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、ヨハン・シュトラウス……「音楽の都」ウィーンと重要な関わりを持った作曲家は挙げれば切りがありません。
私が今取り組んでいるブラームスもその一人で、チェロを弾いている時に限らず様々な発見があるので、音楽作品と、と言うよりむしろ、魅力的な人物との付き合いを深めていく楽しさを味わっています。
ブラームス記念室に展示されたスナップ写真の中の生き生きとした姿に驚き、中央墓地で安らかな眠りに祈りを捧げ……今でもあちらこちらで、この町を拠点とした偉大な作曲家に出会うことができます。
ブラームスが避暑に訪れたアウスゼー地方では、ピアノを弾く等身大のブラームス人形にも対面しましたっけ(このゆかりの地の音楽週間で第2番のソナタを演奏させて頂いたのは、忘れられない思い出です)。そしてウィーン楽友協会の小ホール「ブラームス・ザール」で、客席の傍らに飾られた胸像を眺めながら彼の作品を聴く時には、まるでブラームス自身がそこで耳を傾けているかのような厳粛な気持ちに満たされます。
ウィーンで暮らすブラームスは、かなりの食い道楽でした。親友に宛てた手紙の中で、この町を離れたくない理由の一つとして、「美味しいレストランの数々」を挙げている程です(ちなみに故郷ハンブルクのことは、別の手紙でウィーンと対比させ「オイスター・ロブスター共和国」呼ばわりしています)!
「グーラシュ(ハンガリー風シチュー)は絶品だし、トプフェンパラチンケン(クリームチーズ入りクレープ)も最高、ビールもワインも良い」と居酒屋の食事に舌鼓を打つブラームスの姿は、現代の陽気なウィーンっ子たちと何ら変わるところがありません。ウィーンでは、音楽だけでなく食生活を通しても、ブラームスを追体験することができるのです。
「もっと演奏を楽しまなくちゃ。音符の一つ一つには、家のように奥行きがあるからこそ、音楽に詳しくない人でも参加できるんだ。聴衆を前にすると、音楽を楽しめないって、一体どういうことなんだい?」と、ある指揮者を批判したブラームスの音楽観は、食べ物の好みと同様にウィーン的です。
毎日のようにオペラに、コンサートに、演劇に、気持ちの良い野外レストランでの食事にと飛び回り、「楽しむ」こと全てに貪欲なウィーンの人々を見ていると、彼らが時代を超えて音楽を支え続けてきた理由は、何よりもまず、それが理屈抜きに楽しいものだからではないだろうか、と思わされます。
作品に対する真面目さばかりを強調されてしまいがちなブラームスも、一方では居酒屋に腰を落ち着けてジプシーたちの演奏を愛で、音楽を、そして人生を謳歌していたのでした。
日本で「クラシックは敷居が高い」と感じる方が多いのは、遠い国の文化を輸入する過程で、風土や言語、人々の気質などと結びついた、より親しみやすい部分が抜け落ちてしまったためではないかと思います。ですから帰国公演をする度に、だんだんとクラシックに馴染みのないお客様からの共感が増してくるのは、大変嬉しいことです。
今回の帰国時には、チェロと一緒に是非、「人間としてのブラームス」も飛行機に乗せて帰りたいものだと願っています。長年の大食で育った彼の立派な太鼓腹が、エコノミーの座席に入りきるかどうかが、少し心配ではありますが――。
(東京有名百味会『百味』2007年5月号に寄せた「ウィーン便り」) |