平野玲音 メッセージ

■《タントゥム・エルゴ》とボタンチョコ

 ウィーンで2番目――あるいは、4世紀にまで遡る歴史から考えれば、最も古いと言われる「ペーター教会」。2016年には、この素晴らしい空間で3回チェロを奏でる機会がありました。
 まずは3月7日、エドゥアルト・メルクス氏に依頼され、ミサの中でオルガンと一緒に献奏。特に思い出深いのは、氏のたってのご希望で、コッシュ/ヘルメスベルガーの《タントゥム・エルゴ》を弾いたことです。
 戦争中に失われたとみなされていたこの名曲は、メルクス氏が少年時代に写譜していたことで、生きながらえることができたのだとか!2011年に氏ご自身が、その楽譜を用い、同じペーター教会で、約66年ぶりに音として蘇らせたそうです。
 本来はヴァイオリンがソロ・パートを担当するのですが、ある日メルクス氏に「ヴァイオリンで弾くと音域が高すぎるから、チェロで試してみなさい」と勧められ……その場に楽譜が無かったのでうろ覚えで弾いてみると、大変お喜びになり、(ご自身も暗譜で)ピアノで何度も伴奏してくださったのでした。
 《タントゥム・エルゴ》は、カトリックの厳粛な聖歌であると同時に、メルクス氏がおっしゃる通り、チェロの魅力的なアンコール・ピースにもなりそうです。いつかきっと、帰国公演でも取り上げますね。
 5月1日には、ペルゴレージの《スターバト・マーテル》(悲しみの聖母)を演奏。6月2日は「カペラ・アカデミカ・ウィーン」の創立50周年記念コンサートで、プログラムの中ほどには、「ペーター教会の歴史」というカール・シュッツ博士の講演もありました。
 4世紀の後半――ウィーンがまだ「ウィンドボナ」と呼ばれるローマ帝国の宿営地だった頃――、この場所にウィーン最初のキリスト教の教会が造られました。その後、ロマネスク様式の三廊式のものに取って代わられ、18世紀初めになって、ルーカス・フォン・ヒルデブラントの傑作である今日のペーター教会が誕生。
 中央祭壇、貴重な説教壇(M. シュタインル作)、壮大な天井フレスコ画(J. M. ロットマイヤー作)等々、内部はどこを見てもため息が出るばかり!後方には、オーストリアで最も美しいパイプオルガンの一つがあり、その音色は毎日の「オルガンコンサート」で気軽に楽しめます。
 ペーター教会の裏手、フライジンガー小路には、「ショコラーデケーニッヒ」(チョコレートの王様)というユニークなチョコレート屋が……1844年からここに佇むこの店は、とりわけ宮廷御用達のボタン屋「クノップフケーニッヒ」(ボタンの王様)として名を轟かせ、160年もの長い間、19世紀の内装のまま経営を続けていたそうな。
 2004年のバトンタッチで、ボタンがチョコレートに変わった今も、衛生上の理由でガラスのショーケースが設置された以外は元のまま。壁際の棚の上部には、色とりどりの素敵なボタンが飾られて、店の歴史を偲ばせます。
 この「ショコラーデケーニッヒ」ならではの名品は、「クノップフケーニッヒ」のオリジナルを忠実に再現したボタン型のチョコレート。ミルク、ビター、ヘーゼルナッツ、ホワイトなど様々な味があり、それらを混ぜた詰め合わせはお土産にも最適ですヨ。

(『百味』2017年1月号に掲載された「ウィーン便り56」)

ペーター教会 中央祭壇
教会後方のパイプオルガン ショコラーデケーニッヒの店内
「ボタンの王様」の名残 ボタン型のチョコレート
■マスタークラスのお昼時

 7月の「東京‐ウィーン四重奏団」初来日公演を無事に終え、次の大仕事は“後進の指導”――コンサートとは異なるときめきを感じつつ、今年もパイヤーバッハ(ウィーン南西の町)のマスタークラスに出かけました。
 8月4日の午後パイヤーバッハ‐ライヒェナウ駅に到着し、まずは講師コンサートのリハーサル。翌5日がゲネプロ本番で、すでに恒例となった「キュブの消防署」を舞台に、ブラームスの《ピアノ五重奏曲》を弾きました。
 レッスン初日の6日の晩には、シュレーグルミュールの教会のミサのため、急遽短い曲を弾いてほしいと依頼され、バッハの《無伴奏チェロ組曲第1番》のサラバンド他を演奏……神聖なミサでバッハを弾くのは格別で、シンプルな旋律に万感の思いを込めました。
 今年の宿は、最初の2泊がホテル・パイヤーバッハーホーフ、6日以降はペンション・ハンナで、その中間辺りにレッスン会場があったため、どちらも便利でした。一昨年も泊まったハンナは、会場までの緑の小道が素敵なのと、朝食のセンメル(小型の丸いパン)がサクサクなのがお気に入り♪
 8日の朝からは、ポーランドの有望なカルテットが「グループ受講」で参加し、弦楽器コースを盛り上げました。彼らはドイツ語が話せなかったため、英語やイタリア語などが飛び交って、一段と国際的な趣に。
 自分の本番以上に胃が痛い(!)10日の「修了コンサート」がうまく行き、ほっと一息ついていると、翌日思いがけない出来事が――ヴァイオリンの生徒ドリスが、「空いた時間に個人レッスンをしてほしい」と頼んできたのです。
 「ヴァイオリンの先生方にはもう見ていただいたし、あなたのバッハが素晴らしかったから」と、バッハの《パルティータ第2番》のサラバンドを聴かせてくれました。チェロ以外を本格的に教えたのは初めてでしたが、共通する部分が多く、(バス声部の弾き方など)異なる視点からの助言も役立ててくれればな……と願っています。
 さらにその後、なんとヴィオラの受講生ウリからも「弦楽六重奏曲のチェロ・パートを一緒に弾いたりしながら教えて」とのSOSが! より良い演奏のため、他の楽器の講師にまで声をかける熱意には脱帽で、こちらも知恵を絞って、できる限りのことをしてあげたい気持ちになりました。
 マスタークラスの期間中は、例年にない異常な涼しさで、シュヴァルツァ川で泳ぐのは無理、“食べること”が唯一の息抜きでした。ホテル・パイヤーバッハーホーフのランチコースは格安のお値段で、毎日趣向が変わるので人気です。
 たとえば11日のお昼には、たったの9,90ユーロで、チロルの団子スープ、キノコソースをかけた豚のコートレット(フライドポテト添え)、黒い森のサクランボ・ロールケーキの3品を堪能することができました。
 最終日の12日は、山の上のモストホイリゲ「アルトハンマーホーフ」でのディナーコンサート。生徒たちと力を合わせ、1週間かけて育んだ音楽を、地元の方たちにお聴きいただきました。
 うたかたの夢だったかのようなパイヤーバッハ、愛に満ちた数々の交流を思い出すと、今なお心が和みます。さあ、生徒たちのひたむきさをお手本に、私も向上目指して頑張るぞ!

(『百味』2016年11月号に掲載された「ウィーン便り55」)

ペンション・ハンナ チロルの団子スープ
キノコソースをかけた豚のコートレット 黒い森のサクランボ・ロールケーキ
「アルトハンマーホーフ」で生徒たちと共演
■ピッツァ・サリエリ

 11月29日(火)19時、代々木上原のムジカーザにて、Reine pur 第11回「モーツァルトとベートーヴェン」を開催します。節目の第10回公演を終えて、チラシのデザインも少し変わり、フレッシュな気持ちで準備を進めています。
 モーツァルトのオペラ「魔笛」に基づくベートーヴェンの変奏曲、モーツァルトのカルテットで名高い「プロシャ王」に捧げられたベートーヴェンの《チェロ・ソナタ第2番》。モーツァルトの友人アルブレヒツベルガーは、モーツァルトの息子フランツ・クサーヴァーとベートーヴェンの共通の師にあたります。
 モーツァルトとベートーヴェン――ウィーンに生きた二人の楽聖を、“チェロ”がつなぎます。

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 ベートーヴェンがウィーンに定住したのは、1792年から……モーツァルトは前年に亡くなっていましたが、彼が遺したメロディーはベートーヴェンを魅了し、数年後に《「魔笛」の主題による12の変奏曲》を生み出す所以となりました。
 鳥刺しパパゲーノのアリア「恋人か女房があれば」が、まずピアノで奏でられ、“即興の天才”ベートーヴェンによって自在に形を変えます。ピアノのみの第1変奏や、暗い短調の第10、11変奏を経て、第12変奏は4分の3拍子のハッピーエンド!
 フランツ・クサーヴァー・モーツァルトは、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの末息子。1791年、父が亡くなる数か月前にウィーンで生まれ、作曲家・ピアニストとして活躍しました。
 偉大な父を追い続けた初期のスタイルに反し、1820年出版の《チェロ・ソナタ》には、ベートーヴェンの影響も大きいと言われています。いずれにせよ、父がほとんど書かなかった「チェロ曲」を手がけてくれた彼に、感謝しなくてはなりませんね。
 アルブレヒツベルガーは、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト自身の希望で、彼からシュテファン大聖堂の楽長助手を引き継いだ人物です。対位法の大家として知られ、ベートーヴェンを筆頭に、たくさんの優れた弟子を輩出しています。
 ウィーンの聖マルクス墓地、モーツァルトの墓のすぐそばに、ひっそりと眠るアルブレヒツベルガー。愛らしい《スケルツァンド》は、様々な編成で広く親しまれています。
 モーツァルトがプロイセン(プロシャ)国王フリードリヒ・ヴィルヘルム2世の宮廷を訪れたのは、1789年のこと――ベートーヴェンは1796年に、同じプロシャ王の御前で演奏し、2つのチェロ・ソナタを彼に捧げています。
 チェロを嗜んだプロシャ王は、ベートーヴェンとデュポールによる初演に大喜び。その2曲目にあたる《チェロ・ソナタ第2番》からは、当時の興奮が伝わってくるようです。

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 映画「アマデウス」のライバル役、サリエリも、モーツァルトとベートーヴェンをつなぐ作曲家の一人です。実際は映画よりずっと善良な人柄だったようで、ベートーヴェンやフランツ・クサーヴァー・モーツァルトを含む多くの弟子を育てています。
 1区のザイラーシュテッテには、イタリア出身の彼の名を冠したピッツェリア‐トラットリアが! トマト、チーズ、生ハム、ルッコラ、グラナ・パダーノの「ピッツァ・サリエリ」を始め、薪のオーブンで焼いたピザが人気です♪

(『百味』2016年9月号に掲載された「ウィーン便り54」)

モーツァルトの記念碑(手前)とベートーヴェンの墓 魔笛の一場面を表した「モーツァルトの泉」
聖マルクス墓地に眠るアルブレヒツベルガー 「サリエリ」へようこそ!
ピッツァ・サリエリ
■バロックザールとラートハウスケラー

 3月22日、1区ヴィップリンガー通りに立つ旧市庁舎のバロックザールで、Reine pur シリーズのウィーン公演を開催しました。タイトルは “Das Violoncello der Pianisten”――4月9日のサントリー公演と同じ、ベートーヴェン、バルツァバ、リスト、ショパンの名曲を、ゆかりの街のお客様にお聴きいただきました。
 旧市庁舎は、リンク沿いの現在の市庁舎に比べれば小ぶりながら、大変長い歴史をもつ美しい建物です。1700年頃にしつらえられたバロックザールは、アルベルト・カメシーナの作と推測される化粧しっくいの天井が見事で、色鮮やかな絵画や愛らしい天使たちにうっとりしてしまいました。
 このバロックザールは普段公開されていないようですが、中庭の「アンドロメダの泉」や、その奥の「インネレシュタット区博物館」は、無料で見学することができます。博物館を一回りしてみると、思いがけず(コンサートで取り上げた)リストの肖像画にご挨拶することができ、うれしい気持ちになりました。
 これに対し、現在実際に用いられているウィーン市庁舎は、1872年から1883年にかけて、ネオゴシック様式で建設されました。皇帝フランツ・ヨーゼフ1世が課した「近隣の教会より高くしてはならない」という条件に従って、中央の塔の高さは(99mのヴォティーフ教会よりわずかに低い)97.9mとなっています。
 ところが、設計者のフリードリヒ・フォン・シュミットは、塔の先端に騎士像「ラートハウスマン」(市庁舎の男)を載せることで、合計の高さをちゃっかり103.3mにしてしまったのだとか! 市庁舎の傍らには、旗を掲げるラートハウスマンのレプリカが立っていますので、像の大きさを近くで確認してみてくださいね。
 市庁舎では、議会開催中や祝日などを除く月・水・金曜日の13時から、無料の内部見学ツアーが実施されます。私も「この機会に……」と、先日初めて参加したのですが、奥行き71mのフェストザールを始めとした壮麗な空間の数々は、なるほど一見の価値のあるものでした。
 特に感銘を受けたのは、市議会の会議場の壁画に、マリア・テレジアら過去の施政者のみならず、モーツァルトやハイドンといった大作曲家たちも描き込まれていたこと――心優しい楽聖たちが見守っていれば、現代の議会政治のゆくえも、より“調和”の取れたものになるのでは?
 1899年開業の「ラートハウスケラー」は、その名の通り、市庁舎の地下に位置するレストラン。内部はたくさんの部屋に分かれており、個人客はアラカルトの「サロン・ツィーラー」に通されますが、ここも金でふんだんに装飾された、申し分のない豪華さです。
 お料理は、たとえば「ターフェルシュピッツのカルパッチョ」をグレープフルーツ・セロリ・サラダと混ぜ合わせた前菜のように、古典的なウィーン料理と現代のトレンドとが一つになった絶品揃い。さらに、前回知人たちと訪れた時は、(別室に団体客は溢れていましたが)サロン・ツィーラーは我々だけの貸し切り状態……穴場かも!

(『百味』2016年7月号に掲載された「ウィーン便り53」)

旧市庁舎のバロックザールにて 現在の市庁舎
ラートハウスマンのレプリカ 楽聖たちも集う会議場
ラートハウスケラー ターフェルシュピッツのカルパッチョ
■カフェ・ドムマイヤー

 2月17日、東京‐ウィーン三重奏団の初アルバム「ディヴェルティメント」がリリースされました――昨年7月のウィーン便りでご紹介した Reine pur 第9回「トリオ」のライヴ録音を、アンコールも含めて2枚組のCDにまとめたものです。
 公開リハーサルを聴いた方から「この演奏を形に残すべきだ」と勧められ、録音が決まったのはコンサートの前々日! いわば偶然の産物ですが、結果的には、音楽の純粋な楽しさや喜びをお伝えしたいと願う、私達のスタイルにふさわしい制作方法だったかもしれません。
 「ディヴェルティメント」(嬉遊曲)のタイトル通り、モーツァルトの KV563 のみならず、他のどの曲も気軽に楽しめる曲調です。シューベルト、ベートーヴェン、モーツァルトについては既にお話ししましたので、今回は残りの2曲をご説明しましょう。

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 ヨハン・シュトラウス2世とヨーゼフ・シュトラウスの兄弟が合作した《ピツィカート・ポルカ》は、コンサートのアンコールとして弾いた最初の曲です。弦楽三重奏用の見事な編曲は、「東京‐ウィーン四重奏団」の仲間であるヴォルフガング・クロース氏によるもの。
 アンコールの2曲目、ランナーの《ウィーンのレントラー》は、古き良きウィーン情緒そのものです。陽気な口笛、踏み鳴らされる靴の音……民族舞踊レントラーの情景を思い浮かべていただけますように。

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 ウィーン13区、私のアパートからも歩ける距離の「カフェ・ドムマイヤー」は、これら2曲と深いかかわりを持っています。かつてランナーやヨハン・シュトラウス父子が演奏した同名の娯楽施設を、今日に伝えているからです(厳密には、オリジナルとは数百メートルだけ場所が異なるそうですが)。
 歴史上とくに重要なのは、1844年にここで、若きヨハン・シュトラウス2世が鮮烈なデビューを飾ったこと――当時の新聞の見出し「おやすみランナー、こんばんはシュトラウス1世、おはようシュトラウス2世!」が、時代の趨勢を雄弁に物語っていますね。
 カフェの前に立つ記念碑や、店内の絵や楽譜によって、ドムマイヤーは今も“ワルツ王”シュトラウス2世をたたえ続けています。人気カフェ「オーバーラー」の系列に入っているため、日替わりの名物料理から色とりどりのケーキまで、お味のほうもばっちりです♪
 また、1区のゴルトシュミート小路には、(残念ながら現存していませんが)やはりランナーやシュトラウス1世がワルツを奏でた「レープフーン」というカフェがありました。
 こちらの店には、なんとシューベルトと友人たちも、客として足繁く通ったそうな……ウィーンという小さな街で、多様な音楽が密接に絡み合って生まれた様子がわかる、素敵なエピソードではないでしょうか?
 シューベルトで始まりランナーで終わる新CD「ディヴェルティメント」に、ウィーンのカフェ文化が優しく育んだ、そんな“音楽の輪”を感じていただけましたら嬉しいです。

(『百味』2016年5月号に掲載された「ウィーン便り52」)

 「トリオ」のライヴ録音 〔撮影:舟竹幹雄〕 カフェ・ドムマイヤーとヨハン・シュトラウス2世の記念碑
地元の客で賑わう店内 壁に飾られた絵や楽譜
どれにしようかな…… カフェ・レープフーンがあった場所
■「ピアニストのチェロ」と最古のカフェ

 2011年6月に始めた Reine pur シリーズも、早いものでいよいよ第10回を迎えます! 記念の公演は4月9日(土)14時より、サントリーホールのブルーローズにて開催いたします。
 ウィーンのパートナー、ペーター・バルツァバ氏と探究する今回のテーマは「ピアニストのチェロ」――高名な作曲家でもある氏が私に捧げてくださった《チェロ・ソナタ》を中心に、ウィーンゆかりのピアニストたちが生んだチェロ曲を集めました。

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 ベートーヴェンはボンに生まれ、22歳になる直前にウィーンへ移住しました。ピアノ、中でも即興演奏を得意とした若き天才の活躍ぶりは、1796年の《「ユダス・マカベウス」の主題による12の変奏曲》にも色濃く留められています。
 冒頭にピアノで奏でられる高らかな主題は、どなたもお聴きになったことがあるのでは? ……これはヘンデルのオラトリオ「ユダス・マカベウス」中の合唱曲(見よ、勇者は帰る)ですが、日本では表彰式のメロディーとして親しまれています。
 バルツァバはオーストリアから世界中に豊かな音楽を発信するピアニスト・作曲家。目下唯一の《チェロ・ソナタ》は、2013年の日本公演で共演した際に、なんとウィーンからの機上で完成したそうです!
 以来何度か抜粋では取り上げてきましたが、全曲通して日本で弾くのは初めてです。現代曲には稀なほど、温かい人間味に満ちた作品で、とりわけ美しい第2楽章の歌は「幼少期を過ごしたチェコからの挨拶」を伝えています。
 リストはハンガリー王国のドボルヤーン(現在はオーストリアのライディング)に生まれ、ウィーンでも度々ピアノの妙技を披露。11歳の時には、非凡な才能でベートーヴェンを喜ばせ、額にキスを受けたと言います。
 《忘れられたロマンス》は、リストの歌曲「おお、いったい何ゆえ」を、1880年に彼自らが編曲したものです。“歌う楽器”チェロの特質が存分に活かされた、珠玉の小品です。
 ポーランドが生んだ「ピアノの詩人」ショパンは、別の楽器――チェロにも特別な愛情を抱いていたようです。彼は1845-46年に《チェロ・ソナタ》を書き進め、亡くなる前年のラスト・コンサートで、第1楽章を除く3つの楽章を初演しています。
 バルツァバ氏が信奉する音楽学者のシェンカーは、ショパンの孫弟子にあたるため、このソナタの解釈にも多くのヒントを与えてくれます。ピアノの華とチェロの情熱が見事に調和し、まったく対等に語り合う……アンサンブルの粋をお楽しみください。

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 ヒンメルプフォルト小路の「フラウエンフーバー」は、かつてモーツァルトやベートーヴェンもターフェルムジークを演奏したという、ウィーン最古のカフェ。ベートーヴェンは1797年に、ここで《ピアノと管楽のための五重奏曲》を披露しています(彼はこの曲をピアノ四重奏用にも編曲しており、私はそちらの版のチェロ・パートを弾いたことがあります)。
 大通りから少し奥まっているためか、観光客ずれすることがなく、いつ訪れてもゆったり時を過ごせます。ボリュームたっぷりのチョコレート・パラチンケン(オーストリア風クレープ)も、甘すぎず上品な味わいでおすすめですよ♪

(『百味』2016年3月号に掲載された「ウィーン便り51」)

バルツァバの《チェロ・ソナタ》の楽譜 リストが住んだ家
スイス庭園のショパン像 カフェ・フラウエンフーバー
落ち着いたムードの店内 チョコレート・パラチンケン
■ムーゼ、ハーゼ、ハーセ

 ウィーンの主要な美術館を舞台としたチクルス “MUSIK im MUSEUM”、今シーズンの初回は、11月下旬にアルベルティーナで開かれました。共演者の事情で10日ほど前に全プログラムが変更になるハプニングがありましたが、無事に終えることができてほっとしています。
 コンサート会場となったのは、以前出演した時と同じ「ミューズの広間」。等身大の彫像群、音楽の神アポロンとミューズ(ドイツ語ではムーゼ)たちに見守られ、ご加護を信じて(?)シューベルトの《弦楽五重奏曲》他を弾きました。
 アンサンブルの主宰者エドゥアルト・メルクス氏のスタイルは、決して妥協することのない“ウィーン流”。氏が「ウィーンの演奏家ですら、アメリカ人や日本人を真似てテクニック重視の弾き方をしてしまう」と嘆かれる風潮の中、日本に生まれた自分があの馥郁たる Schubert! の一部を担えたのは、夢のような幸運と感じています。
 アルベルティーナは1776年、マリア・テレジアの娘婿にあたるアルベルト・フォン・ザクセン=テシェン公爵によって創設されました。この美術館では、所蔵品のみならず建物自体――ハプスブルク家の宮殿であった豪華な部屋の数々――も見学することができ、光まばゆい「ミューズの広間」はそれらの中心をなしています。
 アルベルティーナ美術館が誇る、世界最大規模のグラフィック・コレクションのうち、とくに名高いのはデューラーの「野うさぎ」です。私はウィーンに来るまで、デューラーの絵にそれほど関心がなかったのですが、生き生きと温かな体温まで感じさせるこのうさぎ(ドイツ語でハーゼ)には一目惚れ!
 新たな収集品による常設展「バトリナー・コレクション」は、モネ、ルノワール、ドガ、セザンヌ、マティス、カンディンスキー、ピカソといった画家たちの、名作の宝庫です。一点一点じっくり鑑賞すると、ここまで回るだけでもかなり時間がかかります。
 開催期間をずらした複数の特別展によって、行く度に異なる感動が得られるところも、アルベルティーナ美術館の魅力です。たとえば10月末に見学した折には、「エドヴァルド・ムンク」(9月25日~1月24日)、「ファイニンガー&クビン」(9月4日~1月10日)など、4つの興味深い展示を堪能しました。
 出口近くのミュージアムショップで、今回ふっと目を引いたのは、ドイツの現代芸術家オットマー・ヘールが、デューラーの野うさぎを元に創作したオブジェ。「誰もが触ったり買ったりできるアート作品」という触れ込みで、一点59ユーロで売られていました。
 アルベルティーナ横手のビッツィンガー・ソーセージスタンドの屋根の上には、この「デューラーハーゼ」の特大バージョンがどっしり鎮座。美術館の荘厳な外壁を眺め、友人とあれこれ立ち話しながら、ウィーンで最高の味と言われるここのソーセージを食べました。
 品書きから選んだブーレンヴルストは、なんと19世紀からソーセージスタンドの定番で、ウィーンっ子は俗に「ハーセ」(熱いの)と呼ぶのだとか。呼び名通りの熱々ソーセージを、マスタードと共にほおばって……寒い季節を乗り切るゾ!
(『百味』2016年1月号に掲載された「ウィーン便り50」)

アルベルティーナ美術館 「ミューズの広間」でシューベルトを演奏
女神ムーゼの彫像 ミュージアムショップで売られていた野うさぎのオブジェ
ソーセージスタンドの上にも…… 伝統の味「ハーセ」
■愛弟子たちがくれたリキュール

 一昨年と昨年に引き続き、今年の夏も、ウィーン南西の町パイヤーバッハでマスタークラスの講師を務めました。帰国公演から戻ってすぐ、8月2日に一駅手前のシュレーグルミュールでオープニングコンサートがあり、6日から15日まではパイヤーバッハに滞在しました。
 まず7日には、講師たちによるチャリティーコンサートが開催されたのですが、その会場となったのはなんと「消防署」!――消防自動車の車庫らしきスペースで、精悍な消防士さんたちにお手伝いいただいて演奏するという、滅多にできない体験をしました。
 翌8日、簡単な説明会と顔合わせを経て、いよいよ本格的な指導が始まります。チェロの個人レッスン、生徒同士の室内楽におけるチェロ・パートのレッスン、生徒たちと室内楽を演奏しながらのアドヴァイスなど、1時限ごとに違う役割を求められるのがこのマスタークラスの面白いところ。
 チェロの受講生は、20代の大学院生を中心に10歳から75歳まで(!)と幅広い年齢層でしたが、それぞれの個性に合った曲を選ぶことで、他の楽器と対等な“音の対話”ができたように思います。
 10日の昼休みには、生徒たちと連れ立って、シュヴァルツァ川へ泳ぎに行きました。今年の水温は、昨年までの凍るような冷たさに比べれば少しお手柔らか。体が冷えたら日に当たり、暑くなったらまた川へ……清らかな流れを心ゆくまで楽しみました。
 12日の晩は「修了コンサート」、生徒たちの最初の晴れ舞台です。本番中はもう手助けできないのでこちらもドキドキハラハラですが、努力が実り、音楽的に大きく成長した“名演”を聴かせてもらえた時には、自分が弾いた以上に嬉しい気持ちになるものです。
 13日の午前中は、ミュルツツーシュラークにあるブラームス博物館の見学ツアー。ブラームスが《交響曲第4番》他を作曲した住居が復原・公開されていたり、ショップの奥に「赤いはりねずみ」(ブラームスお気に入りのウィーンのレストラン)なるカフェができていたり、前回訪れた6年前とはまた様子が変わっています。
 見学後は、ブラームスが楽想を練りながら歩いた「ブラームスの道」の一部を辿り、CD「赤いはりねずみ――ウィーンのブラームスと仲間たち」のブックレットに載せた、はりねずみの道しるべにも再会することができました。
 ところで、今年私が宿泊したのは、レッスン会場からずっと山を登ったところにあるアルトハンマーホーフ。毎朝聞こえる羊の鳴き声、車で往復する度に目を奪われる絶景……仕事でありながら休暇旅行でもあるかのような、何とも贅沢な10日間でした。
 実質的な最終日である14日には、モストホイリゲを営むアルトハンマーホーフで、恒例のディナーコンサート「モストと音楽」が開かれました。全ての演奏が無事に終わったら、モスト(リンゴのワイン)やシュニット(モストのリンゴジュース割り)で乾杯!
 受講生一人一人に、前もってサインしてあった修了証書を手渡すと、生徒たちのほうも、皆のサインと “Danke!”(ありがとう)の言葉で飾られたスミミザクラのリキュールをプレゼントしてくれました。甘く色鮮やかな、夏の思い出です。

(『百味』2015年11月号に掲載された「ウィーン便り49」)

消防署でコンサート! 消防署でコンサート!
今年もシュヴァルツァ川へ ブラームス博物館内のカフェ「赤いはりねずみ」
アルトハンマーホーフ スミミザクラのリキュール
■演劇博物館の Kultur-Café

 3月7日、1区にあるロプコヴィッツ宮殿のエロイカ・ザールで、カペラ・アカデミカ・ウィーンのチクルス “MUSIK im MUSEUM” が開催されました。1804年、公の初演に先駆けて、ベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」(エロイカ)が鳴り響いたという記念の広間。
 数年前にも、ここでカルテットやクインテットを演奏したことはあったのですが、よりソリスティックな今回のプログラム――とりわけシューマンの《アダージョとアレグロ》では、会場の隅々までゆったり届いていくゴージャスな音響を堪能することができました。
 1683年のオスマン帝国によるウィーン包囲の後に生まれた、最初の大規模な世俗建築であるロプコヴィッツ宮殿。まだ「エロイカ・ザール」と呼ばれていなかった2階の広間が、目もあやな天井画を頂く現在の形に整えられたのは、1729年頃のことでした。
 1745年、音楽を深く愛するロプコヴィッツ家が宮殿を入手すると、カール・フィリップ・エマヌエル・バッハやクリストフ・ヴィリバルト・グルックといった高名な作曲家たちがここで演奏するようになりました。
 1807年にはベートーヴェンの交響曲第4番が初演され、1812年には楽友協会(Gesellschaft der Musikfreunde)が創設されるなど、宮殿の濃密な歴史は続き、1991年からはオーストリア演劇博物館――“世界一美しい演劇博物館”――となって、舞台芸術の魅力を紹介しています。
 このオーストリア演劇博物館は、実に「1,000を超える舞台模型、3世紀にまたがる600の衣装と小道具、100,000を超える線描と複製画、700,000を超える劇場写真を収蔵しているのだとか!
 2月にリヒャルト・シュトラウス展を鑑賞した時にも、館内を埋め尽くす膨大なコレクションに圧倒されてしまいました(神経質なまでに細かいシュトラウスの筆跡を伝える楽譜や手紙と、彼がハマっていたトランプゲーム「スカート」の展示が、なんだか対照的で面白かったです)。
 3月19日には、演劇博物館の見学ツアー “Kultur-Café” に初めて参加。ガイドと共に展示を見て回り、コーヒー休憩を挟んで、さらに詳しい解説を聞くというのどかなツアーで、この日のテーマはテノール歌手ハインツ・ツェドニクの特別展でした。
 今年2015年は、オーストリアが誇る名歌手ツェドニクの生誕75周年であると同時に、彼のウィーン国立歌劇場デビュー50周年にあたります。ツェドニクとほぼ同年代と思われる、熱心な参加者たちからも、当時の歌劇場の空気が伝わってくるかのようでした。
 ツアー前半を終えて、皆でぞろぞろ向かった先は、最初にご説明したエロイカ・ザール。コンサートの折にはゆっくり見られなかった、ヤーコプ・ファン・シュッペン作の天井画に感嘆しつつ、コーヒーとケーキを味わいます。
 休憩中、たまたま同じテーブルで親しくなったご婦人からは、こんなお尋ねが。「まあ、あなたチェリストなのね。どんな会場で弾いているの?」――コンツェルトハウスなどのホールのほか、ウィーンの主要な博物館でも演奏しています。来年も2月にエロイカ・ザールで弾けることになり、とても楽しみです!

(『百味』2015年9月号に掲載された「ウィーン便り48」)

ロプコヴィッツ宮殿 宮殿内にある「ヘラクレスの泉」
エロイカ・ザールでのコンサート リヒャルト・シュトラウス展のトランプゲーム「スカート」
見学ツアー Kultur-Café コーヒーとケーキで一休み
■ウィーンのトリオ

 7月18日(土)17時トッパンホールにて、Reine pur 第9回「トリオ」を開催します。ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ……カルテットとは似て非なる独自の世界。日本ではまだ、固定メンバーで練り上げた“弦楽トリオ”を聴く機会は少ないのではないでしょうか?
 「東京‐ウィーン弦楽三重奏団」(巨匠エドゥアルト・メルクス氏率いる「カペラ・アカデミカ・ウィーン」のメンバーによって2012年に結成、ウィーンを拠点にオーストリア各地で活躍)の皆で帰国し、この街ゆかりの名曲を演奏いたします。メルクス氏直伝の優美なアンサンブルを、ごゆっくりとお楽しみください。

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 1816年に作曲されたシューベルトの《弦楽三重奏曲第1番》は、なぜか第2楽章の途中で筆が途絶えてしまっているため、このコンサートでは完成された第1楽章のみを演奏いたします。
 私達がとくに心を砕いたことは、強弱記号「フォルテ」の弾き方――肖像画通りの優男だったと言われるシューベルトは、決して人を威圧するようながさつな音を求めてはいなかったはず。彼ならではの繊細な魅力が一杯の、愛らしい作品です。
 1797年に出版されたベートーヴェンの《弦楽三重奏のためのセレナーデ》は、とりわけ〈アレグレット・アラ・ポラッカ〉や〈主題と変奏〉の楽章が有名で、ウィーンではしばしば抜粋で演奏されます。
 けれども、全曲通すと実に7楽章!演奏する私ですら、(ポラッカが出てくるまで、長いなぁ)と感じてしまったのですが、メルクス氏はそれを見抜いたかのように一言、「楽章順を変えなさい」……作曲当時は現代よりもずっと自由に演奏されていた事実に鑑み、今回の公演では、最も自然にお客様の心に届くと思われる順序でプログラムを組ませていただきました。
 〈行進曲〉で華やかに幕を開け、メランコリックなアダージョに明るいスケルツォが挟まれる〈アダージョ‐スケルツォ〉、ポロネーズ風の〈アレグレット・アラ・ポラッカ〉、幻想的な〈アダージョ〉、茶目っ気たっぷりの〈メヌエット〉、深い愛情に満ちた〈主題と変奏〉を経て、再び冒頭の〈行進曲〉に戻って曲を締めくくります。
 1788年作曲の《ディヴェルティメント KV563》は、モーツァルトが完成した唯一の弦楽三重奏曲です。3つの楽器を存分に活かしきり、どこを取っても無駄のない響きは、(「一人足りない?」難しさを超えて)「これこそが究極の編成なのだ!」と思えるほどの素晴らしさ。
 モーツァルト演奏家としても名高いメルクス氏は、過去の作品を生き生きと蘇らせる天性のテンポ感覚をお持ちです。私達も可能な限りそれを受け継ぎ、「速い部分をより速く、遅い部分をより遅く弾く愚」を避けた自然なアゴーギクを目指します。
 チェロが朗々と歌い出す〈アダージョ〉、ディヴェルティメント(嬉遊曲)の真骨頂たる2つの〈メヌエット〉、天才的としか言いようのない変奏曲〈アンダンテ〉等々、聴きどころ満載の6楽章です。

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 カフェ・モーツァルトやカフェ・ラントマンなどで注文できる “Wiener Trio” は、ウィーンのトリオの味覚版(?)。ウィーンを代表する3種類のミニケーキ(ザッハートルテ、モーツァルトトルテ、キイチゴとクワルクのトルテ)が甘いハーモニーを奏でます。
 一皿で3度美味しい……違った、3人の個性が一つになった、「東京‐ウィーン弦楽三重奏団」にご期待ください!

(『百味』2015年7月号に掲載された「ウィーン便り47」)

東京‐ウィーン弦楽三重奏団(ベートーヴェンに捧げる花環を持っていらっしゃるのがメルクス氏) シューベルト像
ベートーヴェン像 モーツァルト像
ミニケーキの盛り合わせ Wiener Trio
■シューベルトが通ったレストラン

 1月29日、今年最初の“MUSIK im MUSEUM”は、「東京‐ウィーン四重奏団」でのコンサート。モーツァルトの KV575 とシューベルト2曲(「四重奏断章」と「死と乙女」)、そしてアンコールに、私達自身がカルテット用に編曲したベートーヴェンの《交響曲第8番》第2楽章を弾きました。
 会場となった4区の「ウィーン・ミュージアム」は、以前ウィーン市歴史博物館と呼ばれていた3階建ての建物で、ウィーンの歴史にちなんだ品々を時代別に展示しています。クリムトの代表作「エミーリエ・フレーゲの肖像」や、作曲家シェーンベルクの画才を伝える「アルバン・ベルクの肖像」など、絵画のコーナーも必見です。
 別のコーナーでは、劇作家グリルパルツァーの住居や建築家ロースの居間を、オリジナルの調度と共に見学することができます。グリルパルツァー(1791-1872)は、ベートーヴェンやシューベルトと同時代の人物なので、古めかしい家具たちが、彼らのもとへタイムスリップさせてくれるかのよう……
 グリルパルツァーの作品は、今日では滅多に上演されないのですが、3月28日、アカデミー劇場で「先祖の女」を鑑賞することができました。亡霊の呪いで伯爵一族が死に絶えるという単純なホラーものかと思いきや、息をのむようなどんでん返しが!
 オーストリアを代表する作家であるグリルパルツァーは、こうした戯曲にとどまらず、『ウィーンの辻音楽師』と『ゼンドミールの修道院』という2編の短編小説も遺しています。とりわけ前者は、“古き良き”ウィーン情緒を今に伝えてくれるとても素敵な作品です。
 貧窮のうちに亡くなったシューベルトが辻音楽師のモデルであるという説や、この小説が「ベートーヴェンの《弦楽四重奏曲 Op.130》の第4楽章の雰囲気を表している」という巨匠メルクス氏のご指摘を思い返すと、どのように演奏すれば彼らの音楽に近づけるのかがわかるような気がします。
 3月上旬には、ベートーヴェンとシューベルトの最初の墓がある18区の「シューベルト公園」を初めて訪問。1888年に中央墓地に移されるまで二人が眠っていた場所で、ベートーヴェンを崇拝していたシューベルトの願いを酌んで、2つの墓碑はすぐ近くに並んでいます。
 「音楽はここに豊かな宝と、さらに素晴らしい希望を葬った」というシューベルトの墓碑銘を書いたグリルパルツァー本人も――厳密な位置は不明ながら――ここに埋葬されたのだそうで、3人のつながりが一層強く感じられました。
 ベートーヴェン、シューベルト、グリルパルツァー。1区ジンガー通りの“Zu den 3 Hacken”は彼らが立ち寄ったという伝統のレストランで、中でも常連だったシューベルトと友人たち(フランツ・ショーバー、モーリッツ・フォン・シュヴィント)の名は、入口の記念プレートにとどめられています。
 けれども、取り立ててそれを「売り」にするわけではなく、地元の人たちがごく当たり前に食事をしている辺りが“音楽の都”の奥深さでしょうか?手頃な値段でウィーン料理を楽しむことができ、私はかわいらしい窓際の席がお気に入り。
 サービスも良く、少食の日本人2人で「一人前のツヴィーベルロストブラーテン(かりかり玉ねぎを載せたステーキ)を分けたい」と頼んだ時には、2枚の小皿にきれいに盛り付けて持ってきてくれました……美味しかった!きっとまた食べに来ますからね。
(『百味』2015年5月号に掲載された「ウィーン便り46」)

ウィーン・ミュージアム グリルパルツァーの住居
ベートーヴェンとシューベルトの最初の墓 レストラン Zu den 3 Hacken
店内に飾られたシューベルト像 ツヴィーベルロストブラーテン
■「クリムトの朝食」とメヌエット

 市電“D”に揺られて、夕闇の迫るウィーンを走り抜け、ほのかにライトアップされたベルヴェデーレ宮殿へ――今日(10月29日)はここが、チクルス “MUSIK im MUSEUM” の舞台です。突如、初めて家族旅行で訪れた時の記憶が蘇り、「将来ここでチェロを弾くことになるとは思ってもみなかったな」と感慨しきり。
 バロック建築の粋とたたえられる宮殿の、大理石の間に仲間と集い、モーツァルトの《ディヴェルティメント第11番》やヘンデルの《アラ・ホーンパイプ(水上の音楽より)》などを演奏。お客様はそれらに加え、「バロック絵画」と題された館内ツアーも楽しまれたようでした。
 上宮と下宮、2つの建築から成るベルヴェデーレ宮殿は、トルコ軍からウィーンを救った英雄オイゲン公(1663-1736)がヨハン・ルーカス・フォン・ヒルデブラントに建てさせた夏の離宮で、現在はギャラリーとして、中世から現代に至るオーストリアの美術作品を紹介しています。
 私達が演奏したベルヴェデーレ上宮のハイライトは、世界最大のクリムト・コレクション。名高い「接吻」や「ユディトI」だけでなく、淡いピンクが目を奪う「ソニア・クニプスの肖像」や、夏の休暇中に生まれた風景画など、彼の魅力を余さず堪能できます。
 シーレやココシュカ、フランス印象派、ウィーンのビーダーマイヤーといったその他の名作も鑑賞し終えたら、一旦庭園に出て、はるか彼方に佇む下宮へ……この瞬間の展望は、まさに “Belvedere”(美しい眺め)という名の通りの素晴らしさ!
 ベルヴェデーレ下宮には、オイゲン公が住居としていた豪華な部屋の数々があり、下宮とオランジェリーでは特別展が開催されます(先日オランジェリーで見た「モネの光」は、彼の油彩をオーストリア画家の作品と対置した大変興味深いものでした)。
 2013年10月には、それらのギャラリーに加え、ヒンメルプフォルト小路にあるオイゲン公の「冬の宮殿」が一般公開されました。私は一年経った10月19日に初めて訪れたのですが、期せずして18-19の2日間、彼の誕生日を祝うオープン・ハウスが催されていたのです。
 最大の収穫は、宮廷舞踊「メヌエット」を体験するプログラムに参加できたこと。3拍ではなく6拍ワンセット(!)で、1、3、4、5拍で歩を進め、爪先立ちで上へ、上へと柔らかく舞う……贅を尽くした空間で踊ってみると、日々チェロで弾くメヌエットのイメージが、一層大きく膨らみました。
 「観光する前には、朝食をしっかりとりたいなあ」――そんなあなたは、ベルヴェデーレ上宮のビストロ・メナジェリーで「クリムトの朝食」を召し上がれ。11ユーロで、ハム、西洋わさび、バター、3種のチーズ、ブドウ、ナッツ、オリーブ、ミニトマト、半熟卵、パン、オレンジジュースにグーグルフプフ(焼き菓子)まで出てきます。
 故郷ウィーンの料理をこよなく愛したクリムトは、シェーンブルン宮殿近くのカフェ・ティヴォリで朝食を楽しむのが常で、その中央には、ホイップクリームをたっぷり添えたグーグルフプフがそびえ立っていたそうな。
 言い伝えに忠実な「クリムトの朝食」、メインプレートの盛り付けも、彼の「接吻」に似ている気がしませんか(半熟卵は男性の頭で、ブドウやミニトマトは花模様)?食べ終えたら、居心地のよいビストロを後にして、本物のクリムトと比べてみてくださいね!
(『百味』2015年3月号に掲載された「ウィーン便り45」)

ベルヴェデーレ宮殿上宮 大理石の間でのコンサート
庭園から下宮を望む オイゲン公の「冬の宮殿」
ベルヴェデーレ上宮のビストロ・メナジェリー クリムトの朝食
■プラーターへ行こう、シュテルツェを食べに

 モーツァルトのカノン《プラーターへ行こう》やシュトルツの歌曲《プラーターに再び花が咲き》などで知られるプラーター公園は、長い歴史をもつウィーンっ子たちの憩いの場。「カペラ・アカデミカ・ウィーン」のリハーサル会場から近いこともあり、私も時折、仲間と連れ立って気晴らしに出かけています。
 もともとは皇帝の狩猟場でしたが、1766年、ヨーゼフ2世が一般に開放すると、程なく数多くの飲食店、カフェハウス、ケーキショップがテントを広げ、最初のメリーゴーラウンドが設置されました。
 ベートーヴェンやシェーンベルクといった大作曲家たちもプラーターの常連で、ブラームスは園内のレストラン「チャールダ」でジプシー楽団の演奏を堪能しています――そればかりか遊園地にも立ち寄って、滑り台に乗ったり魔法のブランコで遊んだりしたのだとか!
 映画「第三の男」で有名なプラーターの大観覧車は、1897年、ブラームスが亡くなった3か月後に落成(彼は乗れなくて心残りだっただろうなあ)。第二次世界大戦の空爆で大きな被害を受けますが、1947年に運行を再開し、今日に至るまで優雅な回転を続けています。
 1913年に初公開された「トボガン」は、世界最古の木の滑り台。同じく1947年に再建され、現在は文化財として保護されています。麻袋に乗って100mもの距離を滑り降りるのはスリル満点、子供だけでなく、大人の方にもおすすめです。
 1928年開業のミニ鉄道「リリプットバーン」の名は、『ガリヴァー旅行記』の小人国リリパットに由来しています。ひんやりと気持ちの良い河畔林を走り抜け、エルンスト・ハッペル・シュターディオンで折り返し……乗ってみると、遊園地のみにとどまらない、プラーター公園の広大さがわかります。
 2010年にお目見えした「プラーター・トゥルム」は、高さ117m!(当時世界最高)のとんでもない回転ブランコ。乗った時は、遊園地好きの私ですら「この鎖が切れたら死ぬんだな」と覚悟しましたが、ちっぽけな自分が果てしない天空を舞う感覚は、とても素敵なものでした。
 「浅草花やしき」のようなのどかなイメージと裏腹に、今日のプラーターには、こうした過激な絶叫マシンが所狭しと並んでいます――それらが伝統のアトラクションを駆逐せず、絶妙の調和を醸し出しているのは、“古くて新しい街”ウィーンならではかもしれません。
 もっと遊びたいのは山々ですが、250に上るアトラクションを回ったらきりがないので、(怖い乗り物が嫌いな仲間たちに引きずられて)そろそろ夕食にしましょうか。プラーター内のレストラン「シュヴァイツァーハウス」はいつも大変な賑わいですが、運が良ければ、風情ある屋外の席に座れます。
 しばしば“ウィーンっ子たちのビアガーデン”と称されるこの店の名物は2つあり、1つはビール王国チェコのブランド「ブドヴァイゼル・ブドヴァル」。ビールが苦手な私もこれには納得、一丁前に Seidl(0,3l)を注文してしまいます。
 もう1つは豚肉料理「シュテルツェ」で、豚の後ろ脚を骨付きのままグリルしたもの。マスタードや西洋わさび、キャベツサラダ、らせん状にスライスした大根などと一緒にいただく、焼きたてのぱりぱりした食感はもうたまりません。
 すっかり満足した帰り道、色とりどりにライトアップされた夜の遊園地もきれいです。「プラーターへ行こう……それで僕たちは何をするんだい?」「ジェットコースターに乗って、シュテルツェを食べようよ!」モーツァルトのカノンにこう答えたくなるのは、私だけ?
(『百味』2015年1月号に掲載された「ウィーン便り44」)

プラーター公園の入口に立つシュトルツの記念碑 「第三の男」で有名な大観覧車
世界最古の木の滑り台) リリプットバーンに乗って林の中へ
高さ117mの回転ブランコ(私が乗っています!) 名物料理「シュテルツェ」」
■二重帝国の時代のグーラシュ

 11月28日(金)19時半より、永福町のソノリウムにて、Reine pur 第8回「二重帝国の時代」を開催いたします。
 ワルツ《美しく青きドナウ》で旅人を迎えてくれるブダペストの街、驚くほど端正に奏でられるジプシー音楽……現地で聴くハンガリーの音風景には、日本で抱いていたエキゾチックなイメージと大きく異なる面がありました。「真にハンガリー的なものとは?」オーストリア=ハンガリー二重帝国時代(1867-1918)の作品を集めることで、その一端に迫ります。

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 ゴルトマルクは、ブダペストからもウィーンからも160kmほど離れたハンガリーの町ケストヘイに生まれました。彼はオーストリア=ハンガリー帝国の時代、ウィーンで大人気を博した作曲家で、ウィーン音楽院でシベリウスやフランツ・シュミットの指導にもあたったそうです。
 1892年に書かれた《チェロ・ソナタ》は3楽章からなる美しい作品で、第2楽章の甘く切ないメロディーが特に印象的です。来年1月2日に没後100年を迎えるゴルトマルク、その知られざる魅力をお客様にお伝えしたいと願っています。
 フランツ・シュミットは二重帝国の時代、ハンガリー王国のプレスブルク(現在はスロヴァキアのブラチスラヴァ)に生まれ、人生の大半をウィーンで過ごしました。作曲家としてだけでなく、ウィーン・フィル及びウィーン宮廷歌劇場管弦楽団のチェリストとしても活躍し、彼のソロはマーラーのお気に入りだったのだとか!
 《ハンガリー民謡による3つの小幻想曲》は、シュミットがまだウィーン音楽院で勉強していた頃――ゴルトマルクのソナタと同じ1892年に作曲されました。民族色豊かな作品で、第1曲はリストの《ハンガリー狂詩曲第1番》にも使われた旋律をもとにしています。
 オーストリア=ハンガリー帝国のケチケメートに生まれたコダーイは、「現代ハンガリー音楽の父」とも言われる大作曲家です。彼はバルトークと共にハンガリー民謡を収集・研究し、その成果を(民謡をそのまま用いるだけでなく、独自の音楽語法として)創作に取り入れました。
 自らもチェロを弾いたコダーイは、この楽器のための作品を非常に多く遺しています。1910年に完成された《チェロ・ソナタ Op.4》は、その名の通り幻想的な第1楽章「ファンタジア」と、晴れやかな民族舞踊を連想させる第2楽章とから成っています。
 ポッパーはプラハに生まれ、オーストリア=ハンガリー帝国で活躍した名チェリストで、ウィーン宮廷歌劇場管弦楽団の首席チェロ奏者を務め、後にはブダペスト音楽院で教鞭を執りました(コダーイはちょうど同じ頃にここで学んでいます)。
 1894年に出版された《ハンガリー狂詩曲》は、リストの同名の曲集のチェロ・バージョンとも言うべき楽しい作品。現地で感じた素朴で温かなハンガリー、「絹のような音色」とたたえられたポッパーの気品……既知の名曲を、私なりの新たな視点で演奏したいと思います。

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 ウィーン1区の「レストラン・カルドス」は、オーストリア=ハンガリー帝国の料理を堪能できる、今回のテーマにぴったりのお店です!カルドス一家は1900年頃に(ハンガリー王国/現在はスロヴェニアに位置する)レンダヴァでレストラン経営を始め、1975年からウィーンの現在の場所で、伝統の味を供し続けています。
 事前にインターネット予約が必要なほどの人気店ですが、牛肉の「カルドスグーラシュ」を始めとするグーラシュ(ハンガリー風シチュー)・ヴァリエーションはそれに値する豊かな味わい――現代に生きる私たちは“二重帝国の時代”から、たくさんの尊い遺産を得ているのですね。
(『百味』2014年11月号に掲載された「ウィーン便り43」)

中央墓地にあるゴルトマルクの墓 同じく、フランツ・シュミットの墓
ポッパーが亡くなった家(バーデン・バイ・ヴィーン) レストラン・カルドス
牛肉の「カルドスグーラシュ」
■スペイン乗馬学校とフィアカー

 十年以上ウィーンに住んでいても、帰国公演を終えて戻る時はいつもフレッシュな気分――奥深い「音楽の都」は、今まで知らなかった新たな表情で迎えてくれます。6月7日、(ずっと観たいと思いつつタイミングを逸していた)スペイン乗馬学校の公演を観に行きました。
 16世紀後半に創設されたスペイン乗馬学校は、世界最古の乗馬学校であるだけでなく、世界で唯一、「古典馬術」の高等技術をルネサンス期から今に伝える施設です。“白馬がワルツを踊る”(?)ウィーンならではの優雅な公演は、観光客に大変人気があります。
 ハプスブルク家によるスペイン統治時代、アンダルシア地方でスペイン産の馬に北アフリカとアラブ種の血統が混じった馬が飼育されており(「スペイン乗馬学校」の名はここから来ています)、優雅な動き、強靭な体格、それに乗り手の意思が理解できる資質を持っていたそうです。
 1580年、当時オーストリア領だったトリエステ近くのリピッツァにその一部が運ばれ、王室飼育場が設けられたことから、そこで育った馬を「リピッツァーナ」と呼ぶようになりました。
 スペイン乗馬学校の公演は、厳しいトレーニングを積み重ねてきたリピッツァーナたちの晴れ舞台!バロック建築家ヨーゼフ・エマヌエル・フィッシャー・フォン・エアラッハが設計した美々しい屋内馬場をシャンデリアの光が満たすと、いよいよ伝統のスペクタクルが始まります。
 公演は5つの部分に分かれており、第1部は「若い雄馬」……スペイン乗馬学校の1、2年生にあたるリピッツァーナたちが、常歩(なみあし)・速歩(はやあし)・駈歩(かけあし)を披露します。黒や茶色の暗い毛色は、4歳から10歳の間に変化して行き、成長すると純白になるのだとか。
 高等馬術の教程を概括した第2部と第4部では、全体的な調和を保ちつつ、それぞれの騎手が自由演技を行います。Pirouette(後肢を軸にして旋回する)などの妙技は繊細かつ上品で、まるで馬による“芸術”を鑑賞しているかのよう。
 真ん中に置かれた第3部は、公演の一つのクライマックス。Courbette(後肢で立ち前肢を曲げる)や Kapriole(跳躍し空中で後肢を蹴って伸ばす)といった、とりわけ高度な技に観客席が盛り上がります。
 第5部の「カドリール」は、8頭の馬が互いに協力して作り上げるフィナーレです。公演を通して、ヨハン・シュトラウス2世の《ウィーン気質》やハイドンの《交響曲第101番》など様々な音楽が馬たちの美しさを引き立てていましたが、最後は楽しく、ヨハン・シュトラウス(父)の《ラデツキー行進曲》でお開きとなりました。
 終演後に外に出ると、ミヒャエラー広場にはフィアカー(辻馬車)の長い行列が――スペイン乗馬学校の設立以前、リピッツァーナは宮廷のカルーセル(メリーゴーラウンドの原型)、騎馬やパレード、馬車などのために飼育されていたとのことですが、古都ウィーンでは今もなお、「馬」が人々の生活に溶け込んでいるのです。
 この「フィアカー」は、(おそらく辻馬車の御者が好んで飲んだことから)ラム酒で割ってサクランボを飾ったコーヒーの名前にもなっています。カフェ・モーツァルトのフィアカーは、ラム酒の量を自分で加減できるようになっているので、お酒に弱い私でも安心です♪
 また、プラーター公園の中にあるメリーゴーラウンド “Ponykarussell” は、なんと本物のポニーが馬車を引く珍しいアトラクション。馬車に乗るだけでなく、ポニーの背に乗ることもできるようで、もしかすると、ここから未来の花形騎手が誕生するかもしれませんね!?
(『百味』2014年9月号に掲載された「ウィーン便り42」)

スペイン乗馬学校の屋内馬場 跳躍演技 Kapriole
Spanische Hofreitschule / ASAblanca.com_René van Bakel
フィアカー(辻馬車)の行列 コーヒーをラム酒で割る「フィアカー」
プラーター公園のメリーゴーラウンド
■Reine pur ワイン

 3月16日、歴史あるペーター教会のクリプタ(地下聖堂)で、チクルス “MUSIK im MUSEUM” の特別コンサートが開かれました。私がチェロを受け持っている「東京―ウィーン弦楽四重奏団」が、結成当初から大切に温めてきたベートーヴェンの「大フーガ」を披露することになったのです!
 エドゥアルト・メルクス氏による(私達の演奏つきの)アナリーゼの後、――ベートーヴェンが最初に意図した通り――《弦楽四重奏曲 Op.130》の第5楽章までと「大フーガ」を続けて演奏。さらに、Op.130 の第6楽章をアンコールとして弾くという、この上なく内容の濃い舞台でした。
 現在に至っても“気違いじみた難曲”とみなされてしまいがちな「大フーガ」ですが、一旦思いきってテンポを落とし、刻々と移り変わる和声を心ゆくまで味わってみると、驚くほど多くの場所にえも言われぬ美しい調和が隠れていることがわかります。
 ベートーヴェンが求めた響きを余さず再現することで、カルテット好きのお客様が「今までに聴いた実演は、汚い音の、攻撃的なものばかりで嫌気がさしていたけれど、今日の大フーガは素晴らしく、『これだ!』と思った」と作品への認識を改めてくださったのは、とても嬉しいことでした。
 3月25日には、昨年の秋に引き続き、ヨハンス・ピアノサロンで「Reine pur シリーズ」のウィーン公演 “Reine pur in Wien” を開催――菅野祥子さん(メゾソプラノ)とペーター・バルツァバ教授(ピアノ)との共演で、帰国後にトッパンホールで予定しているプログラムを、一足早くウィーンのお客様にお聴きいただきました。
 ウィーンでのリハーサルが難しく、バルツァバ教授のお宅を訪れた折、最寄りのクレムス・アン・デア・ドナウ駅で出迎えてくださった教授が旧市街を案内してくださったのは、つかの間の観光旅行のような楽しい思い出です。
 古い家並みのユニークな屋根や出窓、モーツァルトの作品目録番号で知られるケッヘルの生家などを見物した後、車に戻って走り始めると、辺りは一面のブドウ畑……そう、ここは、昨年カルテットで訪れたワイナリー「ベートーヴェンハウス・ゲッティンガー」にも程近い、有名なワインの産地なのでした。
 この度オーストリアで誕生した「Reine pur ワイン」は、そんな私の近況を丸ごとボトルに詰め込んだようなワインです!ベートーヴェンハウスの名酒 “Cuvée Beethoven” の一部に、(シリーズ公演のチラシに描かれている)Reine pur のラベルを貼って販売してくださるという恐れ多いお話なのですが、ウィーン在住のファンの方とマルティン・ゲッティンガー氏のご厚意で、長らく抱いてきた夢を現実のものとすることができました。
 ただし、日本に輸入して販売するには、まだ解決しなければならない問題が残っているため、国内のお客様へのお披露目は「トッパンホールでの Reine pur 第7回にお申し込み下さったファンクラブ会員の中から抽選で5名様にプレゼント」という形でささやかに。会場で目に留められた方々から「そのワインはどこで買えるんですか?」とのご質問もあったそうなので、いつか是非一般発売したいと願っています。
 “聴き手を純粋な「音楽の享受」へと誘い出す”Reine pur の精神と、「ブドウ畑は徹底的に自然な状態に近づけたい」と語るゲッティンガー氏の理想には、分野の違いを超えて、どこか通じるものがあるように感じます。
 自然の恩寵にも似た名曲の素晴らしさを、できる限り pur(純粋な、混じり気のない)な形でお客様にお届けし、酔い心地でお楽しみいただきたい。名前負け、いえ、ワイン負け(?)しないよう、今後も一歩一歩、音楽の本質を目指してまいります。
(『百味』2014年7月号に掲載された「ウィーン便り41」)

クレムス・アン・デア・ドナウの旧市街 ケッヘルの生家
シリーズ公演 Reine pur のチラシのイラスト オーストリアで発売された「Reine pur ワイン」
Reine pur 第7回「歌」
■ラヴェルとル・ボル

 歴史的な空間で音楽が楽しめる、カペラ・アカデミカ・ウィーンならではのチクルス “MUSIK im MUSEUM” ――今シーズン5回目となる2月27日のコンサートは、9区のクラム=ガラス宮殿で開催されました。
 1834年から1835年にかけてフランツ・ヨーゼフ・フォン・ディートリッヒシュタイン侯が建てさせたこの宮殿は、孫娘のクロティルデがエドゥアルト・クラム=ガラス伯と結婚したことでクラム=ガラス家の所有となり、第二次世界大戦後の1952年に、フランス共和国が同家から買い取ったのだそうです。
 こうした経緯で、クラム=ガラス宮殿は今日、フランス文化協会の所在地となっています。チクルスの会員に加え、フランス人のお客様も大勢足を運ばれたため、この日の会場「サロン・ルージュ」は文字通りの超満員となりました。
 プログラムは、フランスものを中心としたピアノ三重奏曲で、前半がドビュッシーとフォーレ。後半は、クラム=ガラス宮殿が建った頃の作曲家、シューベルトの初期のトリオ(D28)を挟んで、ラヴェルの大作で華やかに締めくくりました。
 フランスを代表する作曲家であるラヴェルは、オーストリアの首都ウィーンと少なからぬつながりを持っています――ウィンナ・ワルツへのオマージュとして着想した《ラ・ヴァルス》を、彼は当初《ウィーン》と名付けていたほどです!
 1920年に初めてウィーンを訪れた折、ラヴェルは国立歌劇場のオペラやアン・デア・ヴィーン劇場のオペレッタを堪能し、こんな感慨を漏らしています。「街の雰囲気は音楽に満ちていて、光り輝く秋の日差しを浴びながら、街全体が音楽を発散しているように感じられる」
 そしてもちろん、ウィーンのほうも、ラヴェルの音楽が大好き……一時帰国する直前に、フォルクスオーパーで人気のバレエ《カルミナ・ブラーナ/牧神の午後への前奏曲/ボレロ》を観に行きました。
 3作品共、ウィーン国立バレエ団のために新たに振付されており、ラヴェルの《ボレロ》は黒を基調としたシンプルな舞台。単一リズムに乗った明快な曲調と相まって、見事な効果を生み出していました。
 ウィーンの1区には、視覚や聴覚だけでなく、“味覚”でもフランス文化に触れられる素敵な場所があります。2003年開業のカフェ「ル・ボル」は、タルティーヌやエクレアといった軽食・お菓子がメニューに並び、ウェイトレスに “Au revoir” などと挨拶される、ちょっと不思議な空間です。
 店名(フランス語で「お椀」の意)の通り、ボウル状の大きな器に入って出てくるコーヒーには様々な種類がありますが、ほんのりチョコレート風味の「カフェ・ル・ボル」は特におすすめです♪
 また、8区にある「カフェ・デア・プロヴィンツ」は、パラチンケン(オーストリア風のクレープ)ではなく正真正銘の “crêpe” が食べられる、フランス・ファンの隠れ家的な存在。
 Bio(オーガニック)の食材を使って目の前で作ってくれるクレープは、素朴ながらも味わい深く、私は(何十ものヴァリエーションがあるので、まだ全部試してはいませんが!)砂糖、バター、シナモンにアップルソースを加えたものがとても気に入りました。
 クラム=ガラス宮殿のコンサートに向かう時には、近くで「カフェ・フランセ」なる店も見かけたし、最近とみに同様のカフェが増えているとか……音楽においても食においても、ウィーンとフランスの妙なる融合は、人々の心をしっかりとつかんで放しません。
(『百味』2014年5月号に掲載された「ウィーン便り40」)

クラム=ガラス宮殿 「サロン・ルージュ」でのコンサート
《ボレロ》のカーテンコール ル・ボル
鴨の燻製を載せた「タルティーヌ・ランデーズ」 「カフェ・デア・プロヴィンツ」のクレープ
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